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  1. ヨハン教会について(383)
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ヨハンと私

 投稿者:匿名メール  投稿日:2014年 1月15日(水)23時19分14秒 KHP059139077005.ppp-bb.dion.ne.jp
  初めまして。匿名とさせてください。



先日何気なしにネット検索をしていまして、偶然「ヨハン早稲田教会」という懐かしい名前を見つけ、
貴サイトにたどり着きました。
そしてかつて関わっていた教会が多くの方を深く傷つけてしまっていることをここで知り、今、非常に驚いている次第です。

私は現在特に信仰している宗教もなく、またヨハンにて信仰を告白したこともなければ洗礼も受けていない人間です。
ヨハンには大学在学中のおよそ4年間、ごく浅い付き合いながらも関わっていました。
私のような、ヨハンに深入りしないままに関わっただけの者の体験でも皆さんの参考になればと思い、ここにコメント致します。
内容に差し支えあれば非公開として下さい。


私が最初にヨハンに出会ったのは今から10数年前、大学の授業後に同じクラスにいた学生(後の私の筍長になる人物)に
ゴスペルコンサートに誘われたことがきっかけでした。
連れて行かれた場所はまだ引っ越す前の教会だったと思います。
その時には「ああ、キリスト教の勧誘かあ」と思いましたが一見してまともそうな教会でしたし、私自身一神教には懐疑的で信仰を持たない自信があったこともあり、「キリスト教について学ぶ良い機会だ」と考え、自分なりに距離感を保ちつつしばらくつきあってみることにしました。

教会では牧師さんも信者さんも皆人懐っこく笑顔を絶やさずに出迎えてくれ、また礼拝後の食事もおいしく、こんな暖かい大きな家庭のような空間が都内にもあるんだなあ、と感じました。
いわゆるラブシャワーは数回受けましたが、これが実にこっ恥ずかしく(私は讃美歌も歌詞が大嫌いで結局まともに歌ったことはありませんでした)なんでこの人たちは自分たちの内輪の感覚でばかり話を進めようとするのだろう、となんとなく感じました。


その後の日曜礼拝にはたびたび訪れ、夏のキャンプ(COSTA-JAPANだったと思います)クリスマスコンサート、富士山麓での冬季キャンプなど(4年間を通してそれぞれ一回ずつぐらいでしたが)、自分の都合がつく限り、誘いに応じて参加しました。
肝心の説教の内容については、教会で韓国人の牧師さんの話を何度聴いても、部分部分で納得することはあれど、信仰に至るまで共感することはありませんでした。
なにより他宗教を批判する際の言動、また異性関係や婚姻に対する頑な過ぎるほどの保守的な態度が私にはどうにも鼻につきました。とはいえ当時は「伝統的なカトリックも離婚は禁止しているそうだし、こういう保守的で原理主義的な教団もキリスト教にはあるんだろうなあ」くらいの認識でおりました。

大学内の一室を借りて牧師さんを招き、教会に通っていた数名で聖書の勉強会が開かれることも何度かありました。
学生課に目をつけられていたようで、メンバーが「宗教的な集いは困ると学生課から言われた」とこぼしていたのを憶えています。


他の方のコメントにもある通り、クリスマスコンサートでは、ゴスペル(バンド編成のホワイトゴスペルに近いもの)の後に、長くて暑苦しい説教と祈祷がありました。外部から来た日本人の牧師でしたが、その内容たるや例によってだんだん絶叫調に変わるようなエキセントリックな代物であり、内心「これはまずいだろ」と思いながら聞いていたのですが、案の定、コンサート目当てに来ていたであろう人達の中から途中で退席したり、或いは顔面蒼白でじっとうつむいて耐えている人が出てきてしまい「せっかくノンクリスチャンを招いて行っているコンサートを、なぜこんなふうに台無しにしてしまうのだろう」と、実に後味悪く感じたものでした。


KOSTA-JAPANでは猛暑の中、講師の方が(外部から来た牧師さんも含め)入れ代わり立ち代わりで同じような内容の説教をするため、聞いていて実に辟易しました(行かれた方のコメントでシャワーを浴びる暇もなかったという記述がありましたが、私が参加した際には食事・入浴・睡眠時間等、全て十分に取られていました)。
最終日の最後の説教は体育館にて行われ、長くて情熱的な話と祈祷の後にパンとワイン(?)が用意され、係りの先生が指先ほどにちぎったそれを各自の目の前に出して回っていました。私は洗礼的なものと判断し、受け取りませんでした。


勧誘に関してはそれほど執拗な印象を受けませんでした。
ちょっとしつこいぞ、と思うことはあっても、こんなものはよその宗派も似たりよったりだろうと高をくくっていましたし
(そういう意味では実に鈍感なのですが)、電話も件の筍長から折に触れてかかってはきましたが、一日中鳴りっぱなしなどということもありませんでした(日曜礼拝から帰る際、教会の入り口で「なんで来ないんだよ」と携帯で怒鳴っている人間を一度だけ見たことはあります)。
当時PCはおろか、メール機能のない携帯しか所持していなかったということもありますし、私を担当した筍長の性格(穏やかで押しが弱く、議論に向かないタイプ)がそうさせたということもあるかと思います。
私の場合、献金についても強要されることは全くありませんでした。「いつもお世話になっているのに申し訳ないな」と思い、二回ばかり千円ほど礼拝時に回ってくる網に寄付しましたが、筍長から「信仰がないならばお金は払うべきじゃないよ」とやんわりたしなめられたくらいです。このコメント欄でもどなたかが指摘されていましたが、私も「育たない苗」として早くから見切りをつけられ、そもそも期待を持たれていなかったのだと思います。


私を誘った筍長とは、信仰を巡ってずいぶん議論もしました。
前述のとおり、あまり口のうまい人ではなかったため、今にしてみれば彼も言いたいことを上手く伝えられなかったのかな、と思います。私が教会に来ない事を電話口で怒鳴ったり、何度も家に押しかけて強要するようなこともなく(一度だけ自宅に遊びに来て教会の話をされました)、いつも穏やかに諭すような口調で、でも自分達の信仰については頑として曲げず、それでも議論には常に応じてくれました。彼からは、うちの教会は他宗教に寛容であるというような内容の発言もたびたび聞きました。それが説教で耳にする牧師先生の発言とは食い違っていた為、その旨を指摘すると「あれはみんなの前でパフォーマンスとして行っていることだから、つい過激な表現になってしまうんだよ」と返されたこともあります。

私は彼の穏やかで愛嬌のある性格を好もしく思い、出来れば教会抜きでただの友人として付き合いたいとずっと思っていたのですが、彼の話を聞いていくうちに、それはどだい無理なことなのだと悟るようになりました。


その後教団に対して決定的に幻滅する出来事があり、私は教会へ行かなくなり、私が大学を卒業し地元へ戻ることによって、彼らとの関係は完全に途絶えました。教会の誰かから引き止められることもない、実にあっけないものでした。月日が流れ、彼らの存在はいつの間にか私の記憶の遠く彼方に消え去っていました。



独善的な教えに対する反発と、信仰など持ちようもないという諦念と、家庭的な暖かさへの安心感と、ちょっとした気持ち悪さと・・ヨハンにかかわっていた時の私の想いは、実に言葉にし難い、複雑なものでした。


私は彼らの在り方への違和感を、これまでさほど抱かずに過ごしてきました。
宗教とはどんなものであれ、程度の差はあれども排他性や独善的な傾向を帯びてしまうものである、あの教会は偶々私の考えとは相容れなかったに過ぎない。
今でもそんな風に思うことすらあります。
宗教について考えるきっかけを得たのも彼らとのかかわりがあったからですし、そういった意味では皮肉でもなんでもなく、感謝の念すらあります。
実際彼らがカルト的な存在として扱われていることをこのサイトで知り、あれしきのことでカルト認定されてしまうものなのか、そもそもカルトとはなんなのか・・そんな疑問がないわけではありません。
繰り返しになりますが、ここで述べられているようなヨハンの性質・傾向は程度の差こそあれ、他の宗派・他の宗教、ひいては全ての人間が備えている怪物性、人としての業のようなものに思えて仕方がないからです。
しかし常軌を逸した勧誘や引き止めが幾度となく繰り返され、また信者や筍長として篤い信仰を持ちヨハンに長期間深く関わった末に、とても癒しがたい心の傷を負ってしまった人々がこれほどまでにいらっしゃるということは、やはりまともなキリスト教の教えからは逸脱した教団と認定されざるを得ない、ということなのでしょうね。


どなたかが仰っていましたが「安全な宗教とそうでない宗教が存在するのではない、あらゆる宗教に良い面と危険な面が存在するということ」。この一言に尽きるような気が致します。



冗長で取りとめのない文章になりました。最後まで目を通していただきありがとうございました。
 
    (川島堅二) 貴重な経験談をありがとうございました。あえて言えば、ヨハンに行かなくなる直接の原因となる「決定的に幻滅する出来事」がどのようなものであったのかが気になりましたが、具体的に教えていただくことは難しいでしょうか?  

川島教授へ

 投稿者:元信者  投稿日:2014年 1月14日(火)18時06分32秒 174.194.145.122.ap.yournet.ne.jp
  (一部編集の上、公開します。)

私はとある都内の大きな教会にいるものです。神学生もしていますが、ヨハンで4年いました。先日ばったり、ヨハンの元信者と出会い、この掲示板を知りました。

私自身、ヨハンに4年いて独立補助旬長でした。、いまは信仰生活を送り、神学校にも通い、メッセージを語らせていただいております。過去にも多くのヨハン信者が私のところに来ました、人気があるようなことばかりやっていたので、ほとんどの人は私を知ってると思います。それに何人も引き続き信仰生活を送っていますし、結婚もしています。ただ、やはり現実、10人離れれば、ほぼ、信仰生活を教会を送る人は一人くらいでしょう。私の仲間10人以上、教会に通うこともせず、信仰もありません。これをすべてヨハンのせいにしてしまうのですが、私自身、ヨハンがあったからこそ、信仰を持つこともできました。ヨハンで私を伝道した人とは今ではお付き合いしてます。正直川島教授のところに相談される人は、自分は完全に被害者であると認識されてる方が多いのではないかと思われますが、私は被害者意識をもって出たわけではないですから、ちょっと考え方が違うのですが。どうでしょうか?
 
    (川島堅二) 投稿をありがとうございました。

ヨハンに限らず、人が宗教団体を離脱する理由はさまざまであることは認識しています。

離脱の際に私に相談に来た人もいろいろで、ヨハンに対する強い憎悪や嫌悪感、被害者意識をもって離脱した人もいれば、そういう感情はなしに、むしろ、ヨハンに感謝の気持ちを持ちながら、しかし、ここで信仰生活を継続することはできないと自ら判断されて、離脱された方もおられます。

したがって、ヨハン離脱後、教会生活を続けている人も、そうでない人も、私の経験でもさまざまです。

この掲示板の目指すところは、そうした多面性をもつ主観的な経験をモザイクのようにつなぎ合わせて、この団体の姿を理解する一助にしていただきたいということです。

とくに否定的な事実情報で、私が事実を確認し得ない部分については、削除、あるいは編集して公開していますが、それでも誤りや見落としはあるかもしれません。その場合には具体的にご指摘いただければ幸いです。

ただ主観的な感じ方(被害者意識など)は、投稿者の本人が確認できれば、本人の記述、感じ方を尊重して、そのまま公開しています。

 

質問

 投稿者:  投稿日:2014年 1月12日(日)02時14分39秒 125-14-162-104.rev.home.ne.jp
  素朴な疑問があります。
ヨハンの元信者の方が、入会中に個人的に体得した信仰のうち
現実社会で善い行ないにつながるものは、
批判されるべきでしょうか。
 
    (川島堅二) それは特に批判されるべきではないと思います。  

ヨハン教会についての投稿

 投稿者:川島堅二  投稿日:2013年12月12日(木)13時23分8秒 keisen-gw-2.keisen.ac.jp
  先に「ヨハンと聖書」の投稿を匿名でされた方より、ヨハンで経験された「監禁」と「暴力」について、具体的な経験談が寄せられました。長年の直感から信頼できる内容と思いましたが、慎重を期して、その部分はご本人に直接(できればお会いして)確認の上、改めて公開したいと思います。

(匿名投稿者の方へ、cult110@hotmail.comにご連絡いただければ幸いです。)

以下、「監禁」「暴力」の部分を除いて、有益と思われる内容を一部編集の上、公開致します。

〇ヨハンに疑問を持つ方へ
ヨハンのキャンプは拘束時間が長く(個人的には洗脳に近いと感じた)自由時間は2時間しかありません。
信仰献金と称した献金集めをしています。
筍長会議では、信仰の話しでは無く、人数の話しをしています。

そして次週の目標人数を設定、目標人数を達成しようとしています。

その為、強引さが生じます。
「訪問」が良い例です。

キャンプやコンサートの勧誘に強引さが生じる理由も同じです。
一番の難点は、活動熱心だが信仰が無いことだと私は思います。
ヨハンに疑問を抱かれている方は、むしろ信仰がある方であると思います。
ですので、信仰を守って下さい!

離れるとき
〇内容証明←連絡がしつこい場合に有効
〇電話やメールを無視

※内容証明の書き方
「私、〇〇は本日をもってヨハンを退会します。
 尚、家に来たり、メール、電話を一切かけてこないで下さい。」

この書き方をすれば、絶対に躓いて「悔い改め」をさせられたり、私たちの様な経験をしないで済みます。

それでも連絡等がきた場合、内容証明の控えを持って警察ないし法律事務所へ行って下さい!

そうすれば必ず、皆さんと皆さんの信仰が守られます。
 

ヨハンと聖書

 投稿者:匿名  投稿日:2013年12月 4日(水)17時33分36秒 s629121.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
  前もってですが、全てはイエス様に栄光がありますように!

先日書き込み致した者です。
今回は、より掘り下げていきます。
掲示板の書き込みを改めて拝読致しました。
これは1部分と考えてもおかしく無いでしょう。

なので、私の体験談から信仰に至ったまでの流れを書きます。

【ヨハンとの出会い】
今から15年ほど前の9月に、ヨハン関係者からヨハンに誘われました。

同年11月、洗礼、その後、本格的に活動を開始しました。

当時は学歴が強かったのですが、活動を通じて異名が付けられ、【私=伝道王】という方程式が成り立ちました。←伝道なら私に聞け!と、言われる程でした

活動がきっかけで、短期間で筍長になりました。
弟子訓練も一通り受けました。



救いの確信が無く、同時にヨハンに疑問を抱き始めました。

簡潔に
○筍長会議では目標人数を設定、上回ればOK、下回ればNO
○堂会長の下(日本人/韓国人のボス)が、人数について机を叩く
○筍長の殆どが人数の熱呈。←食事のみ/個人礼拝(暗黙)
○献金で堂会長が激怒

などがありました。
当時の私のメンター(今では物凄く仲が良い)と私が離れたときからおかしくなり、サラン教会などからバッシングを受けました。

その後、神学校へ入学、救いの確信を得ました。
神学校卒業後→武蔵野ムーブメント→赤坂ムーブメント→奥多摩ムーブメント(ここで牧会)→クリスチャンカウンセラーという流れです。

【伝道】
聖書:福音を伝えなさい
ヨハン:教会に連れて来なさい
※エクレシアは、仲間。使徒を見ると、イエス様を信じた→エクレシア

【メッセージ】
聖書:イエス様とイエス様の教え
ヨハン:聖書を活用した自分達の教議と神学
※牧会経験から、ヨハンは明らかにズレている

【弟子訓練】
聖書=イエス様の似姿とイエス様の働き人の育成
ヨハン=教議(ヨハン神学)によるヨハンの働き人
※ヨハンのディボガイドはヨハンが編集、弟子訓練は堂会長の【聖書】を活用したもの

【信仰】
聖書:イエス様との関係と聖書
ヨハン:強要(奉仕など)←献金+活動による
※聖書では、信仰に段階があり、強要してはいけないとある

【献金】
聖書:十分の一。それ以外は任意
ヨハン:強要
※聖書では、右の手がしようとしていることは左に告げるな=思いっきり告げている。←競争心が生まれる。これはガラテヤによると【肉の業】

【リーダーシップ】
聖書:人格と信仰
ヨハン:最低一人、洗礼者を出したらリーダーシップ

【その他】
キャンパス活動=学校に無許可(主にあってこの~に反する)

就活/家庭セミナー=上記と同じ

正体隠し/バレたら逃げる=偽証

ゴスペルコンサート=表向きはコンサート。実態はコンサートを餌にした活動。あの人達、売れて無いんじゃないかな?←売れていたら、あんなに滞在出来ないはず、売れている音楽関係者なら尚更。

説得=人数減の防止←実際、イエス様が違う教会に移すこともある。任意でも赦される。
※友人は8時間監禁、ある友人は夜中の2時に家に来て、襟首を掴まれ、私は暴力を受けた←全員リーダーシップ

ヨハンの礼拝人数=熱呈。日本人礼拝+夕方礼拝+食

事のみ+個人礼拝+人数上乗せ+日本/夕礼拝に参加した外国人=人数←計算して弾き出しました。

伝動=強制(イエス様を伝えていない時点で、勧誘だな。)

他教会との交わり=ヨハン禁止。おそらく人数の為。他の教会は一致している。

セミナー=ヨハン禁止。実際、セミナーで救われたり、信仰が成長することが良くある。←講師を務めた経験も含む。

教会から離れる=堕落する。実際は、神学生になっている人や、リーダーシップを取っている人等がかなりいる。←ヨハンから離れた人間で一番最初に神学校へ行ったのは、私です。

余談
ヨハンを離れたの殆どが私や友人のところに来ます。


【辛いとき】
距離を置く=イエスは群集を通り抜け
離れる=躓きになるなら、躓きになるものを切り落としなさい
※ポイントは、【内容証明】で必ず送ること。←後が守られる=守りを固める(敵が大勢で攻めて来たとき、使者を遣わす~ルカ)

今回は、先日までフォローしていた現役ヨハンの人から聞いた話しも混ぜています。

コスタ、冬、年末断食、木曜、土曜は強制的では無く、任意。←本来

信仰献金はしなくていい。信仰というなの信仰虐待に近い、どう考えてもあれは。

以前、日曜日にバイトが入った子がいて、筍長がバイト先に電話しようとした。

よくあるのが、頻繁な電話やメールや訪問。これは躓きを与えるだけ。←私とコンタクトを取ろうとする方の話しをまとめてみました。

大体このようなものでしょうか。
 
    (川島堅二) 重ねての投稿をありがとうございました。

文中、礼拝の出席人数に関して「熱呈」という表現がありますが「捏造」(ねつぞう)のことでよろしいでしょうか?

それと「説得」のところで「友人は8時間監禁・・・わたしは暴力を受けた」とありますが、差し支えない範囲で、具体的にどのような状況だったのか、さらにご説明をいただくことはできるでしょうか?
 

ヨハンの在り方を聖書と照らし合わせてみました。

 投稿者:匿名  投稿日:2013年11月17日(日)06時45分54秒 s642142.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
  投稿させて頂きます。

はじめまして。
私は以前、伝動において異名が付けられ、同時に【筍長】を努めておりました。

しかし、教会の在り方について疑問を持ち、教会を変えました。

その後、神学校→牧会を経てクリスチャンカウンセラーになり、同時に大学に入学致しました。

ざっくばらんに、ヨハンの在り方を聖書が言っている教会の在り方と照らし合わせながら紐解いていきましょう。


【伝動面】
ヨハンでは教会に繋げて、そのままというベルトコンベア式とイメージして下さい。

聖書ではイエス様に繋げて、教会です。(使徒の働き、ペテロの説教以降)

ヨハンではダミーサークル(発案O:教職)、家庭、就活を活用した伝動を展開しています。

それについて、聖書では『ダミーサークル=偽証』、『家庭と就活セミナー=偽証』が成立します。(箴言とガラテヤ)

そして聖書が推進する伝動は、賜物を活用した伝動です。ルカのタラントの箇所を参照


【教会の在り方】
ヨハンでは献金を強要し始めて、それが信仰という風習が成り立っているようですね。

しかし聖書では、マモン(物質主義も含めさせて下さい)に仕えていることになります。

聖書では、【強要されるならやるな(コリント)】と教えています。

更に、自ら喜んで捧げ(ダビデの晩年、ソロモンに王位を譲る箇所)、金額は信仰の度量(誤解されやすいので、箇所を2つ記載します。1つ目はやもめの献金、2つ目は箴言です。)に応じてと捧げています。

なので、【信仰があるなら多く捧げろ】という方程式は、崩れ去ります。もし、それでも喰らいついて来るのでしたら、【あなたを躓かせるもの(イエス様から離れさせる)なら、切り落とせ(参上の水訓)】の原則を活用して下さい。

奉仕も献金と同様です。
何かして教会がお金を払わないケースが、後を経ちません。

それは献金でも、奉仕でもなんでもありません。強盗と、聖書は固く戒めています。(箴言、ローマ10章以降)

もし、突っ込まれたら、【働くものに正当な賃金を支払う(ごめんなさい、パウロ書簡です)】ことと、【主にあってこの世の法律を守りなさい(ローマ10章以降)】の原則に従って下さい。

牧師は神が立てたリーダー(教会も含みます←教会の頭はキリスト)についてです。

基本、従って下さい。
ただし、従ってはいけないケースも存在します。

◎牧師が全てであり、正しいという場合=偶像
◎イエス様と聖書ではなく、【自分達の神学と教議】=聖書でいう間違った教え
◎権威者の立場を利用する=高慢

この3つの場合です。


【信仰】
ヨハンでは、【教会】を中心とします。主にコスタ/ユースの誘い方及び信仰献金

聖書では、躓かせるな『コリントの偶像に捧げられた肉箇所』とはっきり明記した上で、【キリスト】に焦点を当てています。

もし、ヨハンで信仰に躓きそうになりましたら、離れて下さい。箇所がとびとびなので、まとめて


イエス様は度々群勢の前を通り抜けられた、人里離れて朝早くから

と、あります。
これも躓きになりそうな場合に有効な、イエス様の姿です。

聖書では、ハイならハイ、イイえならイイえ(私達クリスチャンカウンセラー及び牧会者、と、言っても以前ですが、境界線と定義しています。←神様の好き嫌い、神様はこういうお方と定義しているところから、境界線と呼んでいます。)

という教えもあります。
つまり、離れる(ハイ)、離れない(イイえ)は、自由意思ですが、躓きそうになりましたら、離れて下さい。

説得は正しいようで違います。他教会に行な。も、違います。これは、ヨハネの手紙シリーズを参照して下さい。

最後に、教会から離れた人批判と、他教会批判。
教会から離れた人を呪う、もしくは裁くなど。これは、肉の業であり、サタンの手段です。(呪う行為)

そして他教会を批判することは、高慢、兄弟に向かってばか(参照の水訓参照)が成立、モデル教会と祈ることは、(パリサイ人と罪人の祈りを参照)高慢、すなわち【不義】が、成立します。

余談で、他教会との交わりを禁じることを、聖書はきつく戒めています。(ヨハネの手紙第一)


まとめ
聖書と照らし合わせ、矛盾して、かつ、つま躓きそうになった場合(強要させてくる場合も含む)は、教会から離れるか、教会から距離をとって下さい。尚、離れる場合は、【内容証明で離れる旨】を伝えて下さい。←主にあってこの世の法律(憲法第73条1~3項)
 
    (川島堅二) 興味深い投稿をありがとうございました。

ヨハン教会で筍長まで経験された方だからこそできるアドバイスだと思いました。教会内部で葛藤している人たちが心を整理するよすがになることを祈ります。
 

御論文拝読して

 投稿者:恵保場之介   投稿日:2013年11月 3日(日)21時23分15秒 cts113021.cts-net.ne.jp
  御多忙中恐れ入ります。御論文「八百万一神教」・大本教の思想についてを拝読しました。
私は教派神道の大本や天理や金光や黒住などには全くと言ってよいほど関心ありませんが、
単純の考えれば人間の意識の志向が一度に多数の神々を崇拝の対象とはなし得ないこと
(「ノエシス→ノエマ」の働き)、何らかのかたちで一神教的に成らざるを得ないことがよく
わかりました。ところで単一神教」と「徹底唯一神教」以外に一神教の形態が認められる
と思われます。ニーバーの3類型では現実にそぐわないと思います。「拝一神教」もあり、
聖書の一神教はほとんどこれだと聞くし、日本人クリスチャンの多くはこれでしょう。
家の宗教や民族の宗教として他の崇拝対象の存在を暗黙のうちにも認めていると思います。
ただし単一神教のように他の神々の存在を肯定しているわけではなく、前提はしていても
否定しており、彼らにとって「唯一神」の存在は主観的事実として認められるのでしょう。
ところで、ニーバーの言うところの「徹底唯一神教」とは具体的にはどういうことですか?
理念としてはあり得ても現実にはどうなのでしょうか?他宗教の神々の存在を許容し得る
「一」なのでしょうか?一説ではイエス以外には誰も持ち得ない信仰形態のようですが、
いかがなものか、お教え願います。そしてクリスチャンの多くは実際は拝一神教徒ですか?
 
    (川島堅二) 投稿ありがとうございます。ipアドレスからですと、昨年の一月にボンへっファーの「作業仮説の神」について質問された方でしょうか。

>ニーバーの言うところの「徹底唯一神教」とは具体的にはどういうことですか?
理念としてはあり得ても現実にはどうなのでしょうか?

おっしゃる通りだと思います。ニーバー自身、これをあくまで理念型として提示していると思います。

>クリスチャンの多くは実際は拝一神教徒ですか?

この問いへの答えは、調査をしてみないと分からないとしか言えません。興味深い問いとは思いますが・・
 

日経新聞「交遊抄」

 投稿者:川島堅二  投稿日:2013年 7月 6日(土)09時41分54秒 nptty404.jp-t.ne.jp
  本日の日本経済新聞の文化欄コラム「交遊抄」に拙文「志の足跡」が掲載されました。

神学生時代に影響を受けた、在野の歌人であり無教会キリスト教徒、事業家でもあった神戸照子(かんべてるこ・2005年没)さんとの「交遊」を書きました。

当時、ガチガチの教会的信仰の鎧に身を固めていた私の殻を破ってくださっのが、神戸照子さんでした。今も深く感謝しています。


 

プロパガンダが・・

 投稿者:ななしのひつじさん  投稿日:2013年 6月26日(水)16時27分51秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp
   題:プロパガンダ(嘘宣伝)がはっきりして来ている。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 1945年の上エジプトで、「ナグ・ハマディ文書」という文書
が発見された。
 この中には、「トマスの福音書」と言われる文書も入ってい
た。
 また、これらの文書は、「グノーシス主義」という主義の文
書だった。
 グノーシス主義は、初期キリスト教の時代に、正統的な教会
から『異端』というレッテルを張られた、最大の運動だった。
 「トマスの福音書」は、その異端運動の中心的文書であった。
 「グノーシス」とは、ギリシャ語であって、
 意味は、「洞察を深め、字義通りの解釈を越えて到達される
高い次元での奥義的な英知」という意味だった。
 この運動は、「イエスの復活」などは『事実ではない』とし
て、信じ込む事は「愚かな事」として退(しりぞ)けていた。
 そして現代、アメリカの気鋭な学者集団の数十人からなる研
究団体は、この「トマスの福音書」を研究対象に加えないとイ
エスの原像には辿(たど)れないとした。
 そして、これらの研究によれば、「イエスの奇跡」などは、
 かなり後になってから『作り出された話(創作話)』である
という研究結果を発表している。
 また、イエスは、「遊行哲学者」ふうの人と発表した。
 また、「イエスの死を贖罪の死」と捉(とら)えるのも、かなり後
代に発展された(作り出された)事という。
 復活信仰は、かなり後代になってから(創作)という。
 また、日本の学者も「初期キリスト教の宣教を、贖罪信仰を中心に
した」と考えるのは間違っていると言う。
 伝統的なキリスト教の「奇跡信仰」は眉唾だとしている。
 キリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)が、近代の研究の成果で、は
っきりして来ている。
(参考)ゆう‐こう【遊行】 [名](スル) 1 遊び歩くこと。「外国に
―して一時歓娯を極むるに似たれども」〈織田訳・花柳春話〉 2 さま
ようこと。
        (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

救済について・・・

 投稿者:ななしのひつじさん  投稿日:2013年 6月26日(水)01時03分45秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp
  御一読ください
題:こっちを繕(つくろ)えば、あっちが解(ほつ)れる。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イエスの家族について、見てみると、
 イエスには、兄弟姉妹が大勢いる。
 イエスは、現代からみれば、多いと言える大家族の肉親を持
っている。
 イエスの弟・ヤコブが有名だが、キリスト教の宗教的な教義
から見れば、イエスは『神』だが、ヤコブは『使徒』だ。
 また、キリスト教の宗教的な教義から見ると、「イエスだけ
が、ヨセフと血縁ではない」。
 しかし、イエスが故郷のナザレに返ってくると、
 故郷の人たちは、イエスを懐かしく見て、「預言者とはうま
いことをやっているな」とイエスに声をかける。
 イエスも、「古里では、預言者も預言者ゼンとしてられない」
的な言葉を言っている。神通力が働かないというところか。
 故郷という所のイエスは、イエスの治療効果が働かないとい
うことは科学的にも立証されている。
 イエスがやっている「患者に手を置く」「手を当てる」とい
う行為は、病を癒(いや)す効果があることは、近代科学でも
立証されている。
 つまり、イエス以外の人でも効果があるという事である。
 また、精神的に病んだ人も、ステータスのある人がイエス的
な治療効果を得させることはあるとの結果を得ている。
 そして、イエスを子供の頃から見ていた故郷の人には、キリ
スト教的な見方では、当然、なかったのは当然だろう。
 普通の子供の様に、子供仲間と駆け回っていた野山があり、
古里の家並みがあり、喧嘩もしたのだろう(イエスは短気だし)、
 そして、泣きわめく男の子として近所の人・古里の人たちは
見ていたのだろう。大きくなっていく、育っていく過程を。
 そしてまた、その故郷の人たちは、近所の人として、夫婦
(ヨセフとマリア)の血のつながった子供と見ていたのだろう
(血縁の子)。
 キリスト教は、イエスを宗教的な題材として取り上げた時か
ら、神格化への道を歩み、数百年も経っての後の公会議で、
「やっとイエスを神として認めた」。
 その途中には、イエスを「主とも呼んでいなかった」。
 イエスを「主」と呼ぶ様にしたりして来たり・・・。
 イエスが神となった公会議決定のその時から、キリスト教的
には、マリアは、神の子を産んだと言う事になった。
 そして、神の子を産んだのなら、母・マリアも神だろうとい
う話になり、その問題点を補完するキリスト教の教義も新しく
作ったりした(「無原罪の御宿り」など新しく教義として決め
た)。
 がしかし、マリアは、人の子も産んだという事になっている。
 次から次へと問題点は出て来る。
 イエスが、その兄弟姉妹の長男という事は間違いない事実だ
し・・・。
 キリスト教の教義的には、説は色々あるが、マリアは、イエ
スを処女で産み、ヨセフは、マリアの処女性に悩んだという話
は聖書にあるが、イエスの後、ヨセフとの間の子(人間の子供)
を何人か産んだ。
 またはそれとも、マリアの処女性を優先するのなら、その後
の子供達も(イエスの兄弟姉妹たちも)、神の子となるのだろ
うか?・・と、話は舞う。
 いずれにしても、この様な事を「ああだ」「こうだ」と言う
キリスト教の宗教性の程度にクエスチョン・疑問が涌く。
 話のレベル的には高いという感じはしない。
 それを気にしてか、キリスト教の聖書の(「マタイによる福
音書」1・25)には、
 ヨセフが、「男の子(イエス)が生まれるまでマリアと関係
する事は無かった」とわざわざ書いている。
 そしてまた、イエスの誕生後は、性的関係を持ったという事
が明記されている。その様に、はっきり「わざわざ」書いてい
るが、キリスト教は、このブログに書くのも嫌になるほど、こ
れを問題とし「ゴチャゴチャ」言い続けている。軽蔑すべき状
態となっている。
 こっちを繕(つくろ)えば、あっちが解(ほつ)れるという
状況のキリスト教宗教となっている。
(参考)ステータス【status】 《「ステイタス」とも》 1 社
会的地位。また、それを表すもの。 ステータス‐シンボル【sta
tus symbol】 社会的地位や身分を象徴するもの。
            (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

ヨハン教会の献金について

 投稿者:キョクシン  投稿日:2013年 6月 9日(日)20時49分12秒 nptty405.jp-t.ne.jp
  (一部を編集して公開します。)

大学生さん、私も以前ヨハン教会に通っていた者ですが、献金について疑問に思われている事はその通りで、誰が献金をしているかを確認するために名前を出しています。礼拝のプログラムに名前が載せてあるのは、これにより信者の信仰心の強度を確認するためです。ヨハンでは「信仰心」が篤い事が絶対視されるので、信仰心が無い人は教会の奉仕活動には携わらせません。そういう意味で、信仰心をこれだけ絶対視するという事から、献金も信仰心の強度を測る一つの方法なのです。
 

ある出来事より

 投稿者:脱兎  投稿日:2013年 5月28日(火)21時58分21秒 KD124208063218.ppp-bb.dion.ne.jp
  最近仕事でご一緒した方(同性)の話です。
・一匹狼だけど、私にはフレンドリー。
・何かと物をくださる。
・いろいろと旅行に誘ってくださる。
・メールを頻繁にくださる。
短期間で随分仲良くなれる人もいるんだな、と楽天的に思っていたら、だんだん状況が変わり
・一緒にお茶しに行くと、あり得ない時間まで引き止められる。
・ほかの同性の方と世間話をすると不愉快だと言われる。
・家庭の事情を理由にお誘いを断ると「私と家の人とどっちが大事なんだ」「あなたには社会人としての常識がない」などと責め立てる。
・メールの返事が遅いと怒られる。
…ようになりました。
当然ながら恋人とかではなく、仕事が終わればまたアカの他人に戻るような関係の方です。
結局、こちらもそこまでのご期待には添えないので、仕事以外では関われないことをお伝えして疎遠になりました。多少の摩擦はありましたが、仕事に行けなくなるよりはマシと思い耐えました。

いろいろと調べると、このようなタイプの方は、自分でも無意識のうちに「とりつく」相手を探すようで、
とりつかせてくれる相手かどうかも感覚でわかるそうです。
「とりつく」相手も、いい人でありたいとつねづね思っている人、自分の都合より人を意識してNOと言えない人などが適しているのだそうです。
…つまり、私はそういう人間です。自分でもわかっています。
ヨハンを出て何年も経っているのに、まだ人を見抜けず、逆に「選ばれて」しまう自分は本当に恥ずかしいと思いました。このように内心見栄を張っているから、ヨハンの戦略にまんまとのせられてしまったのでしょう。まったく成長していません。
あとから読み返すとこの方の私への近づき方、心をつかんだあとの振る舞いは、ヨハンのやり方に似ていますね。

普通の精神状態ならこういう相手からはすぐ離れるべきだと思いますが、ヨハンの支配的教育を受けていたら、判断を下すのは大変かもしれません。
ヨハンを出たいとか、出たあとも苦しんでいる方がどれほどいるのか私にはわかりませんが、
どうか自分の本音を大事にして行動してください。
中途半端な優しさは神様が喜ばないと思います。
ほかのメンバーは神様が何とかなさるでしょう。
無理して愛に似た何かを振りまくよりも、何にもしなくても自然体でいられるほうがずっと(周りの人も)幸せなことだと思います。
長くなってすみませんでした。
 

元・現役信者さんへ

 投稿者:匿名  投稿日:2013年 5月 5日(日)23時39分22秒 p25100-ipngn100502fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  投稿、改めて読ませていただきました。お疲れ様です。
多くの人が入信し、多くの人が無念を抱えてヨハンを離れていきました。
私も、大昔に離れた、同じ一人です。
そして、今でも究極の意味では「迷いながら」生きています。

あなたのやさしさは、いつかヨハンの意味ではなく、本当の意味で「実を結ぶ」のだと思います。どうか、ゆっくり休まれて下さい。
 

さーさんの投稿を読んで

 投稿者:大学生  投稿日:2013年 5月 2日(木)16時22分4秒 KD182249142236.au-net.ne.jp
    さーさんの投稿と同じように、僕はヨハン教会の者ですが、僕も伝道方法にとても不信感を抱いています。これが本当に伝道なのか?といつも疑問です。僕は彼らのやり方ではやらず、直接福音を伝えます。しかし、彼ら曰く、「福音を直接伝えるよりは、徐々に教会の行事に誘って心が開いたら伝える方が効果的だ」らしいです。それもとてもいいと思います。

しかし、教会の礼拝に誘うにもかかわらず、「日韓交流会だ」などと偽っていることに僕は特に不信感を抱きます。
「教会の礼拝に参加して見ませんか?と素直に誘えばいいのに」といつも思っています。





 

ヨハン教会についての取材協力

 投稿者:川島堅二  投稿日:2013年 4月29日(月)17時22分51秒 nptty307.jp-t.ne.jp
  ヨハン教会についての取材協力の呼び掛けに現役信者を含む多数の方々からお申し出をいただき感謝致します。

取材は引き続き行われますので、ご協力いただける方はcult110@hotmail.comまでご連絡ください。記事等で公になる際には、個人が特定される内容が出ることはありませんが、取材の際には、最低限の個人情報(氏名、連絡先等)は明かしていただく必要があることをご了承ください。
 

「さーさん」の投稿について

 投稿者:川島堅二  投稿日:2013年 4月29日(月)08時18分21秒 e0109-106-189-115-201.uqwimax.jp
  先に連絡を呼びかけた「さーさん」から、投稿は自分が感じた通りのありのままの経験であるとのお返事をいただきました。すなわち、教会のことは一切口にせず、『私たちは留学生です。新入生のためにバザーをしています。』と言って語りかける「伝道」の現場を初めて目の当たりにしたとき、これは偽りの勧誘行為ではないかと強い不信感を抱いたが、自分はただ隣りで呆然としているしかできなかった。奉仕も予定がない限り、行かなくてはならない。断れない。キャンプだって、断りきれないと感じたと。

これはハラスメントを行う側と、受ける側によく生じる問題です。行う側は「そんなつもりで言った(やった)のではない。嫌ならはっきり拒絶すればいいのに」と弁解する。しかし、ハラスメントが成立するのは、された側がどう感じたかによってです。された側は、たとえ言葉で拒絶を語っていなくとも、強い不快感や、拒否できない強制を感じている場合があるということを、ヨハン教会の方々は、心していただきたいと思います。
 

深井智朗氏の『宗教について』の訳について

 投稿者:麹町教会の一信徒  投稿日:2013年 4月28日(日)20時11分27秒 p42243-ipngn101souka.saitama.ocn.ne.jp
  春秋社より深井智朗氏の訳によりシュライアマハーの『宗教論』の翻訳が
『宗教について』という題名で刊行されましたが良い翻訳になっておりますでしょうか?
川島先生の忌憚のないご意見をお聞かせください。
 
    (川島堅二) まだ入手していませんが、もうすぐ届く予定です。読んだらレポしますね。シュライアマハーの宗教論はこれまでいくつも訳が出ていますが、組織神学者によるものは初めてと思います。楽しみです。  

元ヨハン信者

 投稿者:さー  投稿日:2013年 4月26日(金)21時45分54秒 s1429133.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
  私は最近、ヨハンを脱会しました。
私がヨハンに出会ってから、約一年経ちます。受洗もしました。今だから多くのことを客観視することができます。
私が離れた理由、それは、あまりにも強制的だからです。奉仕から礼拝、更にはキャンプなど、参加するかどうかの決定権は私たちにはありません。全ては先生によって決められてしまいます。私たちの気持ちなんて無視です。キャンプはただでさえ、お金がかかる。学生の私にとって、大金です。都合が悪いと言ってもしつこく説得され、結局は連れていかれる…本当に嫌でした…そして、伝道のやり方に不信感を覚えました。教会ということを隠し、身分を偽る…勧誘をする際にも、しつこく誘う。クリスチャンであることを証せよ、福音を恥としないと語っているにもかかわらず、嘘をつく。矛盾していませんか?奉仕も用事があっても断れない。やりたいことが沢山あるのに、貴重な土曜日は奉仕で潰れ、日曜日は礼拝に行く…休みなんてありません。教会にいると、自分を失っているようでした。
思い切って、教会を離れることを告げました。案の定、三時間も説得されました。ですが、意志を貫き通しました。後悔していません。今は日本基督教団の教会に行っています。私の他に、教会を離れたいといっている兄弟姉妹はたくさんいます。教会というのは、本来、救いを求める者が安らげる場所ではないのですか?それなのに、多くの兄弟姉妹が傷付き、辛い思いをしている…悲しいです。
多くの人が苦しんでいるということに、気付いてほしいです。救われますように…
長文ですみません。
 
    (川島堅二) 投稿をありがとうございます。ヨハン教会の一面を知る貴重な情報になります。少し落ち着かれたら、直接お会いしてお話を伺いたいです。その時は、ご連絡ください。  

献金について

 投稿者:大学生  投稿日:2013年 4月18日(木)21時54分39秒 KD182249149040.au-net.ne.jp
    すこし疑問に思ったので、投稿しようと思いました。ヨハン教会の礼拝に通っています。

  献金の封筒や袋になにかを書くところがあります。そこには名前を書くそうですが、名前を書かず献金していました

  一般的に献金封筒に名前って書くのですか? 名前を書かなくても僕は、主に感謝して献金しているので、主はご存知だと僕は信じています。

名前を書かずに献金をしていたので「献金してないよね?」と言われました(笑) 名前を書く理由って誰が献金したかしてないか知るためなのではと思いました。その意味はないと思うんですけどね。

文章まとまっていませんすいません。



 
    (川島堅二) 投稿ありがとうございます。

献金袋に記名欄があるのは、珍しいことではありませんが、献金者の氏名を毎週配布される礼拝のプログラムに載せる教会は、あまり知りません。ヨハン教会はこの点が特異かもしれません。
 

(無題)

 投稿者:匿名  投稿日:2013年 4月14日(日)23時37分11秒 KD182249242011.au-net.ne.jp
  先日キャンパスで声をかけられました。
留学生と交流できるという話で、おもしろそうだと思っていたのですが、今日初めて教会のことを知りました。成り行きで礼拝にも参加してしまったのですが、牧師さんのお話には全く共感できませんでした。
でも、声をかけてきた人自身はとても感じのいい人で、連絡先も教えてしまったのでこれからどうすればいいのか困っています。今度また会うことになってしまっているのですが…
 
    (川島堅二) 留学生と交流できるはずが、キリスト教の礼拝への参加。それは正体を隠した違法勧誘です。相手が良い人に見えるかどうかは問題ではありません。はっきり断わりましょう。キャンパス内での違法勧誘行為ですから、学生課に通報しておくことをお勧めします。  

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