|
川島先生、建設的なアドバイスを頂き、ありがとうございます。はい、わたしは信仰とはなにか、聖書とは何か、救いとは何か、という問題に今も悩んでいます。とはいえ、真剣に学んでいるとは言えないのですが…。ヨハン教会のことも、こういった掲示板のコメント、自分の体験、教会として学んだことなど客観的にみながら、思い出として処理しています。人生は一度きりなのに、まぁよくも自分は、変な道を選ぶのが好きだなぁっと思いながら。金圭東は嫌いですが、宇都宮教会を否定するつもりはないです。その時に働いてたすべての兄弟姉妹に尊敬と感謝を捧げます。
きっと私がなにかにのめりこみたい、自分の無価値な人生の大義を教会の中で見つけたいとおもっていたからこそ、そこまでのめり込めたのででしょうね。
私は、今もヨハン教会の夢を見て、もうそこにはいないのに~、と思いながらも一緒に礼拝を捧げていることを選んでしまっている自分を夢で見ています。
バプテスト教会では、自分がある程度の聖書の導きに従いながら方向性を決めていく自由さがありますから、気持ちは楽な分、クリスチャンということにあまり特別感が見出せなくなりました。というより、俗っぽい私が聖なる生活を送れていないだけかもしれませんね。
私が以前、ヨハン宇都宮教会の先生にこういうことをいいました。「わたしは教会のために信仰生活を送っているような気がする。」と。その時に直感的に感じたのでしょうね。今思うと的を得た感じ方だと思っています。それが今度は「自分の信仰のために教会生活がある」と思っていいんだ、と川島先生の言葉を見て思えるようになりました。
ヨハン教会を彷彿されるような姉妹とも、嫌な想いはなくなりました。わたしはわたしです。
教会はこれからもずっと通っていたい。イエス様のことはずっと信じていたい。私を罪から救ってくれた方を忘れることはできない、そして信仰を育てたヨハンも忘れない。
すべてが私として受け止めて、これからの生活を、送っていきます。
ありがとうございました。
|
|