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平井さんへ

 投稿者:川島堅二  投稿日:2015年 9月14日(月)06時53分16秒 ai126155113095.29.access-internet.ne.jp
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  バルトとシュライアマハー(以下シュ)の神学的関係についての質問へのお答えです。

バルトが生涯にわたってシュの影響を受け、尊敬し続けたこと、したがって「バルトがシュを切り捨てたとは言えない」はまったくその通りだと思います。バルトによるシュへのオマージュとも言える晩年の文章(http://religion.sakura.ne.jp/schleiermacher/barths.htm )は、わたしがシュに関心を持つきっかけでした。

ただ神学の方法に関しては、とくに初期バルト(ロマ書)と初期シュでは全く異なっていて、神と人との質的差異を前提とするバルトと、「歴史」「人間性」に宗教の最奥の故郷を見出すという宗教論のシュの神学とについて「一致が見られる」とかいうことは難しいのではとわたしは思います。

平井さんの当面の課題がバルトの「ロマ書」第2版における宗教批判であれば、当時のバルトの直接の論争相手であったハルナックやブルンナーを取り上げたほうが賢明であると思います。

私見では、バルトとシュの一致は、神学の方法ではなく、神学的姿勢です。両者ともにそれぞれがおかれた時代における宗教としてのキリスト教の危機を感じ取り、キリスト教が存続し続けるためにはどうあらねばならないかを、評論家的にではなく、自らの実存をかけて語り、そして生きたということです。

参考になれば幸いです。
 
    (川島堅二) 補足です。バルトのロマ書が主題の論文でシュの宗教論を取り上げようとすると、シュの深みにどんどんはまってしまい、バルトで書けなくなる恐れがあります。シュの神学・哲学世界において宗教論はほんの序の口に過ぎず、これを理解しようとすると信仰論や倫理学、さらには弁証法にまで踏み込んでいかねばならなくなります。私自身の経験です。  
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