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今回の件はいずれ起こる出来事と考えていたため(ただし、予想より随分早い時期でしたが)、あまり驚くことなく静観しております。ただ、元ヨハン人さんのご投稿で気になった点があるためコメントを。
私のように霊性の無い一般人からすると、はじめに目が向けられるべきは、金圭東氏を尊敬しながら性的虐待と顔を殴られるなどの暴行を受け、日本での宣教に20代の人生をかけながら自国にひっそりと帰らざるを得なかった元ヨハンの女性教職者らの無念な心情かと思います。
かつ、金圭東氏が「真に謙遜で主に打ち砕かれてる」者ならば、2000年代に組織内だけで性的虐待と暴行が明らかになった時点でそれを公に言い表し、辞職しているのではないでしょうか。韓国メディアにスクープされそうになると、法的手段に訴えようとする行動が果たして人の心を打つでしょうか。
私が言いたいのは、「リヴァイバル」に貢献する者(多くの礼拝人数を獲得する者)は貴く、ある程度の強硬な手段は正当化されたり、保護されるべきという考え方を、そろそろ辞めませんかということです。性的暴行、暴力を常態的に女性にふるっていたことが明らかになった組織のトップや経営陣が、謝罪し辞任することは通常の民間企業や省庁、自治体、政治家でもあることで、普通のことです。
こうした普通の感覚が無い人間が説くキリスト教は何の魅力もなく、当たり前の感覚がない牧師が牧会する教会に通いたいとは思いません。また余談ですが、個人的な意見として牧師もまた、職業として他の生産的な職能を身につけているほうが健全であるとも思っています。イエスは石大工職人、パウロは天幕職人でしたね。
誤解のないようにいえば、私は金圭東氏に直接、会ったこともあり言葉を交わしたこともある人間です。その上での言葉です。
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