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ウォーズマンさん、ご結婚おめでとうございます。
私もヨハン教会を学生のころに経験して失望した人間です。
その後人間不信から様々な人間関係でつまずき、教会にも通わなくなりました。
今でもキリストや聖書のことばを信じていて、個人的に祈ることはあるものの、非信者と結婚し、思想的にも国内のキリスト教団体とは相容れなくなり、今後も教会に行くことはないと思います。
ヨハンではそれなりに組織の一員として活動していて、個人的な望みが叶わなくても「神様がいるからいいや」と自分を慰めて学生生活はなおざりにしていました。
しかしそれは、ヨハンにとって操作しやすい人格を保つために教え込まれた思考だと思います。
叶えたい願いがあるなら、納得がいくまで神様に正直にぶつけて、真正面から取り組んだほうが信仰者らしいと今は思います。
唐突ですが川島教授の「聖書といえども歴史的制約をうけている」というお言葉が私はとても好きです。
考えてみれば私たちが享受している人権や福祉的な政府というものさえ、聖書の世界にはありません。
ヨハン教会の教えるような「神様さえいればそれでいい」というあきらめの境地のような余裕のあった人はいなかったのではないかと思います。むしろ必死で生きる術を身につけなければ淘汰されてしまう厳しい社会だったと思います。
ヨハンは「徹夜で祈り求めなさい」というわりには、都合の悪いことがあると「神様さえいれば感謝なんです」と矛盾した教育をします。
第3の道を考えるとか、熟慮するといったことは最終的に信徒の教会離れを生むので、避けようとします。
宗教は自己矛盾を孕みやすいものですが、ヨハンはそれを直そうとしないばかりか、ダブルスタンダードを巧みに用いて日本人信徒を操作しようとしていました。
自分の頭で考えられ、その上で神様に祈ることが当時の私にできたなら、多くのものを傷つけ失うことはなかったと思います。
ヨハンに心酔して考えることをやめてしまった自分は幼かったのです。
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