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舞台での裸電球の使用について

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 7月11日(土)13時30分42秒
   当初のお問い合わせがありましたが・その使用目的がはっきりしませんね。舞台装置の一部分としてか、舞台照明の機器の一つとしての考えか。それぞれの目的に添ったセッティングがあるはずです。もっと深く考えての質問を望みます   teruakali
 
 

裸電球に関して

 投稿者:m08  投稿日:2015年 7月11日(土)10時08分25秒
  お聞きしたいことがあり投稿させていただきました。
今度の公演で裸電球を吊りたいと思っているのですが、どのくらいのWのものを選べばいいか、小屋で使う際に注意すべきことなどあれば教えていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
 

舞台照明を勉強している後輩に助言 ( 45 )

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 7月 5日(日)20時15分6秒
  舞台照明を勉強している後輩に助言 ( 45 )

  【 照明設備を自分が描いた、イメ-ジプランを表現出来るように自由に使えたら 】

 舞台の設備を通じて舞台照明のなんであるかを考えてみよう。

 『劇場に電気が入ってきた頃』
日本の劇場に電気が入ったのはいつ頃のことですか、とよく聞かれることがある。正確には何年からとは言えないが、大先輩の故頭山静雄先生のエッセイ、照明という言葉の起源、とか伊藤康雄氏の著書を見るとそんなに遠い昔のことではないし、但し電気が発見されてからのことを考えても判ることと思う。明治 20 年頃からぼちぼち「電灯」という文字が演劇史などに見え始めてくる。当然のことながら、その時代その時代の一般家庭で使用されていたであろう人工光源が必然的に劇場でも使われて来たに違いない。それも劇場の固定的な照明設備ではなく、部分的効果として用いられたことが多いようである。
 比較的はっきりしているのは、明治 20 年 4 月に井上外務大臣邸で天覧歌舞伎が行なわれた際に、電灯による照明が用いられた記録がある。しかし、それも劇場の設備ではない。
 その後、次第に劇場に電気が入ってくるのだが、たいていの記録は客席にシャンデリヤをつけたとか、表廻りの電気の装飾がきれいだったとかで、東京の歌舞伎座なども、客席のシャンデリヤが夕方時間がくると、芝居をやっている最中でも電気がつくと舞台がパッと明るくなって、お客も大喜びをした。と誰かの懐古録を読んだことがある。
 文明といういうものは徐々に普及していくもので、情報伝達も現在のように盛んではなかった頃のことであるから、東京や大阪の劇場の記録がそのまま地方都市にあてはまるとは思えない、その普及時期は、地域的にも劇場によっても、かなりの差があっただろうと推測される。
※ 舞台設備の導入
  ところで、舞台照明設備としての電気が、どのようにして劇場に入ってきたかというと、これも正確な記録としてはほとんどないのだが、たいていの劇場では、それまでランプを吊ってあったところに、そのままの位置でランプを電灯にとりかえたというのが多かったようである。
 特に地方都市の芝居小屋では、昭和の初め頃でもその痕跡が残っている。情報伝達が遅かった時代というばかりでなく、舞台照明としての電灯の普及が遅れたのは、その他にもいろいろな理由があったと思うが、何事にも新しいことを導入するには、多くの抵抗を覚悟しなければならないが、特に封建意識の強い芝居の社会で、革命的とも言えるような照明設備の導入は、一朝一夕にできることではなかったことは充分想像できる。
  当時の舞台は″大道具の城″とも言うべきところで、舞台の諸設備は全て道具を飾るための、あるいは舞台転換のための都合が優先する風潮があったことは事実である。
その後、舞台照明の必要性も次第に認識されてはきたのですが、ボーダーライトのような大型の照明器具を設置することになると、現場の抵抗はまだなかなかのもので、そん
な中で、舞台に照明設備を入れようというわけですから、まず照明器具を吊ることも、
  配電盤の設置場所を決めるにも、できるだけ大道具の邪魔にならないようにと配慮しなければならなかったのである。たとえば、配電盤の設置場所については、たまたま下手側のお囃子部屋の上があいていたので、そのスペースに置くようになったのです。また、ボーダーライトを吊るにしても、照明としての適当な位置を選ぶのではなく、それを隠すために大道具の既設の一文字を規準にして、位置が決められたと考えることが出来る。このように、舞台照明の歴史はまだ浅く、しかも本当に照明の必要性にそって設備されたというよりも、昔ながらの芝居小屋にそのまま照明設備を導入したこと、大道具との関係、その他の歌舞伎の伝統などを優先させた初期の考え方が常識となって、新しく劇場を建設する際にも、無批判に残っているように思われる。
※ 光の方向を決定する条件は
  舞台照明をつくるということは「どんな光で」「どこから」「どれだけの明るさで」照らすか決めることである。したがつて、光の種類の選択、光の方向の決定、光の量の調節の三っは、舞台照明にとって欠くことのできない三要件である。 これを劇場の照明設備の面から考え、さらに劇場建築との関連で考えてみると、光の種類は照明器具の選択によって決められる。また、光の量は調光装置によって自由にコントロールができる。しかし、光の方向については、光源すなわち照明器具の設置場所の方向によって決まるものなので、建築と深いかかわりを持つことになる。むしろ、設置場所の選定が光の方向の決定になるのである。
※ 舞台の明りをつくる
 ところで、現在の舞台照明の現状はどうなっているのだろうか。光の種類としては、ボーダーライトがまず主役だと考えられるが、もともとボーダーライトは通常「地明り」といっている舞台の明るさをつくる器具である。この明るさはフラッドライトでなければならない。このボーダーライトは、遠距離を明るくするには不適当な器具であるが、昔は演技面にもそれだけで充分な明るさが得られたものであった。ところが、近年劇場が大きくなり、プロセニアムも高くなったため、ボーダーの位置も高くなってしまった。したがって、昔と同じように舞台面を明るくするにはボーダーライトだけでは充分ではなくなり、数個の強力なスポットライトをボーダーの位置に吊り、ボーダーライトの明るさの不足を補うようになってきたのである。
 しかし、この地明りサスを使うと、明るくはなるが、明りの方向性が出てきて、フラッドライトにはならなくなる。影の問題も生じてくる。この方向性をやわらげるために、前方や斜め前方からの光が必要になり、シーリングやサイドフロントが設置されているわけである。
※ 客席側からの光
 シーリングライトは通常客席の天井の一部に設置され、前方からフラッドライトとして使用する場合が多いものである。 このための角度としては、舞台面に対して、30 ~ 45°の角度が適しているようで、実際に劇場にはこの角度で設置されているのが現状である。
 しかし、現在のシーリングライトは、フラッドライトとして使用することだけを目的としているようで、それ以外の目的で仕様することは考えられていないようである。
もっと方向性をもったスポットライトを使えるスペースとして、シーリングを利用することを考えることも必要であると思っている。同時に、舞台に対していろいろな方向から光を照射できるようなスペースを、客席の天井、あるいは両壁面などに確保出来ないだろうかと考えて見る。そういった意味での、現在のサイドフロントライトの設置場所はフラッドライト用にもスポットライト用にも兼用して使える、非常に適当なスペースだ。
 先に述べた天井や壁面に欲しいスペースというのは、このサイドフロントのスペースのような場所を、小さな規模のものでもいいから可能な限り欲しいということである。
※ フリーな照明設備を
 舞台上のスポットライトとして、サスペンションやギャラリースポットがあるが、これらの使用については、舞台装置との関連がネツクになって、不自由な思いをすることがたびたび遭遇する。これは、照明設備を固定的に考えなければ解決できることがずいぶんあるように思っている。 スポットライトを吊る位置やタワーの位置は、ほとんど固定されているようだが、そういった照明設備にもっと融通性をもたせる方法を考えれば、舞台装置との摩擦はかなり解消されるであろう。
 舞台装置と照明との関係は、全く一体のものだと考えられる。装置を飾る位置が自由であるように、照明設備の位置も自由でなければならないと思う。
主に吊り物の移動も含めて、照明設備の場所についてはもっとフリーに考えるべきであろう。一般に現在の劇場の照明設備は固定的すぎるように思われる。
もっと自由に照明器具が配置できるように、たとえばスノコやギャラリーなどは可能なかぎり、回路を設けておき、照明器具が設置できる条件をつくっておくといったことが考えられてもよいのではなか。また、客席側の設置場所については、最近器具の見えることをそれほど気にしなくなっているようだから、設置場所をつくることも比較的可能性が広がってくると思う。ただし、【このように照明器具の設置場所が自由に選べるようになるということは、照明家にとって、その力量がためされるということにもなる。】それは、舞台照明をつくる場合、最も重要な要件である光の方向について、適格に決定することが求められるからである。
  要するに、フリーな設備ほど使い方はむずかしくなるということになるのである。  ( 未 )

                                                                 Teruakali










                                    -3-
 

舞台照明を勉強している後輩に助言 ( 44 )

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 7月 1日(水)13時46分22秒
  舞台照明わ勉強している後輩に助言 ( 44 ) ・ 舞台照明家のエッセイ

   【 照明の用語について】          舞台照明家 (故) 遠山 静雄

 いつの頃からか文学的表現に「脚光を浴びる」という言葉が使われ始めた。脚光とは劇場のフットライトのことである。俳優が晴れがましい舞台に立って観衆の前に姿を表す状態に譬えた言葉である。昔の劇場では、フットライトが唯一つのあるいは主要な照明設備であったからである。劇場用語として現在は誰もこんな言葉は使われない。
 『大正末期に名称制定の努力』
 ヨーロッパに於いて初期の照明設備としてはボーダーライト、フットライト、サイドストリップの三種類の他はなかったが、だんだんと進歩するに従って器種も多くなり、名称も増加して来た。これらの器械名が統一されないとコミュニケーションに支障来たすので大正の末期であったか、日本で使う名称の制定を行ない、遠山照明研究所を中心として一般への普及に務めた。すべて英語を主体とし、片仮名で書いた。
 『戦時中の熟語邦語化』
 戦時中、英米語を使うのは非国民だというので、照明学会の中で邦語術語の制定が問題になり、私案をまとめた。フットライトは従前から脚光という言葉があったからこれを使えば良いが、ボーダーライトは新語として上部光樋とした。そんなあんばいで各術語をつくったのであるが、どうも言いにくい。軍隊では以前からズボンとかシャツと言わないでむつかしい日本語をあてはめていた。民間人にはとても通じない。
 用語の邦訳化は結局行われなかった。やはり英語で通すことにした。但し、ホリツォントという言葉だけはドイツ語をそのまま使うことにした。
 『術語の苦労』
 そこでホリツォント・ライト(英独チャンポン語であるが)について、アツパー・ホリツォント・ライトとローア・ホリツォント・ライトという言葉であるが、こんな言葉は欧米には無い。第一、ローアなどという言葉は英語にはない。それを承知の上の私の造語である。英米語では  groundrow という言葉が使われる。これはホリツォントを下方から照らす器具と同時に、切り出しの前に置いてその切り出しを照らす目的にも使われる。
 往事これはストリップライトであったが低燭のためホリツォント照明には不向きである。
 現在は光源も高燭となりローア・ホリツォント・ライトには専用の器具が開発されている。使い道によって名称も区別した方が良い。私の発明したローア・ホリツォント・ライトは最も適当な術語だと思うが如何?。現在日本ではこの言葉が通用している。日本語の術語だとおもっていただけば良い。
 一体学術語に外来語が用いられるのは巳むおえない。邦語に直すと反って混乱をまねき、また翻訳し難いものがある。日本でもこうした外来語をそのまま使うことは、世界共通の文化に於けるコミュニケーションの便宜のためである。舞台用語に外来語を使うのもそのためであり、それらは日本語に吸収されて一般化される。
 ただ看板や広告、週刊誌の題名等にまで外語が氾濫し、文字まで外字のままが流行するのはどういうものか?。 私は特別の国粋主義者でもなく、それらの文字が読めないわけでもないが、国民の大多数にそれが理解出来るのであろうか?。ただ格好良がる心理産物に他ならないのではなかろうか?。いささか行き過ぎの観がある。自宅の近所に中華料理屋が新築され、Chinese Restrantというネオンがともされた。折角気取った看板も誤字に至っては世もおしまいである。誰かが注意したのであろう、やがて取り換えられたが・・・。

 『プロフィール・スポツトライト』
 舞台照明用語にプロフィール・スポットライトというのがある。私はこの言葉を使ったことはないが、舞台上の人物の顔を明るく見せるために舞台袖から小型スポットライトで照らすそれをいうのである。現在はその目的にはフロントからエリプソイダル・スポットライトを使ってフォローする。
 1959 年 Kenneth Rae と Richard Southern が国際演劇学会のために書き、ブリュッセルで発行された「演劇技術用語の国際語彙・An International Vocabulary of Theater Terms」には舞台装置用語としてこれが出ている。1977 年ストックホルムで発行された「テアターオード(演劇用語)・Teaterord」には profile spotlight という言葉が載っている。これらの 2 冊の本は 7 カ国語或は 8 カ国語の対称表であって、言葉の意味の説明はないが、1961 年ニューヨークの Theatre Arts Books から出版された「劇場用語・Theatre Language」は Walter Parker Bowman と Robert Hamilton の書いたものであり辞書の如く説明がついている。それによると、 profile は  ①  profile board の略称、例えば背景に使うカットクロース、又はベニヤで作った場合の Board を鋸で挽くこと、②  profile position の略・・その意味は俳優が右あるいは左側の横顔から正面へ向きなおる時の身体の位置を示す語とある。・・・profile board についてはなお詳しく説明があり、ベニヤ板の如き薄い木材にカンバスや無地の布地を貼ったものを岩、柱、森のような舞台装置の一部としてシルエットの形に不規則な形に鋸で切ったもの(日本の舞台用語で・切り出し・という)とある。又 profile block ともとう。Phyllis Hartnoll によってオックスフォード大学出版部から 1962 年出版された「The Oxford Companionto the Thester」の第 2 版には、profiling を、張り物(flat)の直線の端に、にんいに形に縁を切った 1/2 インチ厚の板を取付けたものと説明している。即ち、我国で袖の見切りなどに使う切り出しに類するものである。
  ロンドンのストランド社に居り、後にイギリス劇場技術協会の会長となった   Frederick Bentham の著書「舞台照明の技術・The Art Stage Lighting」第 2 版(1976)には profile にたいし、固体平物の大道具でその端が樹木等の形に切り取られたものをいうと説明されており、その他に profile spot という項を設けて次のように説明している。即ち、反射組織で光を凝縮し、窓を通して投射しその輪郭はシャッター、アイリスあるいはゴボーの様なスライドによつて変えることの出来るスポットライトの事である。窓自体は対物レンズによって焦点を結び竪に輪郭のビ-ムを投ずる。
 profile spot をアメリカでは Ellipsoidal spot といい、ドイツでは Ellipsenーspiegel
Linsenscheinーwerfer という。アメリカのセンチュリー社では Levy と Kook の名前を取って  LeKolite という。C.C.T.(註)では Silhouette 1000 及び 2000 を造っている。    ハロゲンランプを使った 1KW 及び 2KW の profile spot である。(大型のフォロースポットも profile の範疇に入る)

   『デジタル調光器のこと』
  ところで、舞台照明用調光器のことであるが、従来のアナログ方式からディジタル方式に変わりつつあり、ディジタル方式の一つの特色として、調光曲線を如何様にも容易に変換し得る機能を持っている。この方式はスタランド・センチュリー社が Light Palette と称して売り出したが、我が国ではヤマギワテクニカ社がこれを輸入して、東京のシアターアップルに取り付けたのが最初である。
 任意の調光曲線といったが例えば図に示すようなものである。
ライトパレットは 9 種類の曲線をセットし得るように出来ている。ヤマギワが発行している ライトパレットの使用説明書はセンチュリー社の原本を翻訳したものであるが、これらの曲線を profile と呼ぶとある。操作は profile 押釦を押すことによっていずれかの曲線を得ることが出来る。

  『プロフィールとプロファイル』
 我々は profile をプロフィールと呼んでおり、私の使っている古い英和辞典にもそう読むように発音記号がついている。ところがヤマギワの書類には日本字でプロファイルとなっている。これをヤマギワの村井豊氏に問い合わせたら、アメリカでストランド社の人もそう発音しているという証言を得た。
 熟語は世界で統一されているわけではない。前述の「An International Vocabulary of
Technical Theatre Terms」や「Teaterord」でも、国によって呼び名が違うから数カ国の呼び名の対照表をつくっているのである。こういう例もある。アメリカの著名な照明学者ムーントスペンサーは一般に使われている熟語に逆らって、別の言葉を使っている。
例えば照度(illumination)をファローサージュ(pharosage)といい、光束(flux)をファロス(pharos)という。しかし一般にこの言葉が流布したことを知らない。熟語は一般に通用してコミュニケーションに役立たなければ意味をなさぬ。
 舞台照明用語は我国では英語をそのまま使った方が良いとおもうが、どんなものであろう?

註・C.C.T.はロンドンにある舞台照明器具メーカーで、この会社を組織した3人の名前の頭文字をとって付けた社名である。この社の製品はストランド社などに卸される。


                               teruakali


 

舞台照明を勉強している後輩に助言 ( 43 )

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 6月27日(土)10時58分22秒
  舞台照明を勉強している後輩に助言 ( 43 )  ・ 重複しているかも知れないが・・・

 【しごと と 安全】

1. 安全なしごとのすすめ方
     (1) 精神的な準備
             しごとをするときは、常に精神的、肉体的に健康な状態でのぞむよう、
       日頃から心がけること。
     (2) しごとの実施
              ① しごとの実施にあたっては、実施担当者が、しごとの内容の確認、                      作業手順の検討およびしごとの準備を十分行なうこと。
              ② 作業中は、関係者以外できるだけ作業現場に立ち入らせないこと。
              ③ すべての吊り物や高所での作業では、直下付近の人や物品の安全確                      認を十分行なうこと。
              ④ 出演者・観客など部外者のいる場所で作業する場合は、とくに細心                       の注意をはらい、みだりに持ち場を離れないこと。
              ⑤ 危険作業を実施する場合は、2名以上で作業し、作業中もお互い
                  に確認し合い、常に注意をよびおこすこと。
              ⑥ 作業終了に際しては、安全確認を十分に行なったあと電源を
                 「断」としてから持ち場を離れること。
2.  照明設備の取扱
      (1) 各種照明器具の取扱上の基本事項
              照明関係の事故としては、感電、火傷、漏電や過熱などによる火災、
              電球の爆発などがある。これらを未然に防ぐには整備が完全であるとと
              もに、取扱が適切でなければならない。取り扱いのうえでは、特に下記につい
              て注意する。
              ① 器具やフイルターの交換作業など照明器具を扱うときは、手袋を
                  して手が負傷しないうにする。
              ② 点灯している器具を素手でさわらないこと。消灯直後の器具を含
         め加熱状態にある器具をさわるときは、必ず手袋をするなど直接手や膚に
                  ふれないようにする。
              ③ 照明器具の付近に燃えやすい物がないようにする。もしくは
         燃性のものから離して器具をセットするなど火災発生に十分注意す
         ること。特に幕や美術吊りセットとの接触に注意すること。
              ④ 器具や光による加熱を受けるおそれのあるセットや幕などは、十
         分距離をとり、火災の危険がないように注意すること。
              ⑤ 照明点灯中は、発煙、電球の爆発、異常音の発生など異常現象に
         ついて監視すること。
              ⑥ 電球、ヒューズの交換は、電源「断」を確認してから実施すること。
              ⑦  コードの被覆の状態、コンセントの損傷状態を使用前に確認するこ
                  と。
       (2) 照明バトン操作
              ① エリヤスポット、ボーダーライト、タワーライト、エキストラス
         ポット、アッパーホリゾントライトなどの昇降では、降下位置の安全確認
                  を行なったのちに実施すること。
              ② 上記の照明バトン類の昇降では、降ろすバトンの安全確認のため
         監視要員を配置すること。
              ③ 昇降時の安全確認では、器具がセットやほかの物体と接触しない
         かどうか、降下位置付近に人が立ち入らないように監視すること。
              ④ 安全確認を行なう担当者は、昇降についての緊急ストップがかけられるように、
         操作盤担当者と連絡がとれる態勢をとること。
              ⑤ バトンやタワー昇降中に異常(異常音、バランスの狂い)を認めた場合は、速やか
         に停止し、ホールの照明担当者またはチーフに報告
                  し指示を待つこと。
              ⑥ 美術業務と競合の考えられるときは事前に充分打ち合わせすること。
    (3) 移動型照明器具
              ① レンズ破損、コードの被覆の状態、コンセントの損傷の有無を確認して使用する
         こと。
              ② 使用する延長コードの損傷の有無を確認すること。
              ③ コード取り口のコンセントの損傷やごみが入っていないか調べた
         あと使用すること。
              ④ 電球の変形に注意し、フィラメントを点検し、状態によって
         換すること。
       (4) スタンド類
              ① スタンドの高さ調節用ネジの操作では、指をはさまれないよう十
         分に気をつけること。
              ② スタンドは倒れないようにするとともに、可燃物に近い器具には
         特に注意すること。
              ③ 移動スタンドなどは安全性を考慮したうえ、コード類が歩行およ
         び機器の移動に障害とならなぬよう処置すること。
       (5)ロアーホリゾント
       (6)、(7) シーリングスポット室、フロントサイドスポット室での作業
              ① シーリングスポット室へ行く天井の通路では、特に頭上、足元に
         十分注意すること。
              ② シーリング、フロントサイドおよび天井通路などで作業する場合
         は、工具や物品を落とさないよう十分注意すること。特に胸ポケットに
                  エンピツやボールペン、工具など、かがんだとき落ちやすい物品
         を入れて行動しないこと。
       (8) その他
              ① 持ち込み器具の管理
                  外部から照明器具や電飾器具など持ち込む場合は、劇場側の管理
         下に入る。
              ② 照明室使用中は、安全対策のため、操作員が必ず在室のこと。
              ③ 終了後、照明室を退出するときは、電源スイッチの「断」を確認
         し、火気に注意すること。

   火災事故防止
       (1)一般的作業では、照明を中心に大容量の電気が使用される。またセット
             類な燃えやすいものが数多く使われる。催し物によってローソクそのほか裸
             火がつかわれることもある。こうした作業環境の中では、の防止は安全管理上
             の大きなテーマであり、各操作員のゆるみない心掛けと適切な管理のもとに運
             用されなければならない。
     一般的な防火心得は次のとおりである。
            ① 喫煙は所定の場所で行なうこと。
            ② 引火性可燃物(アルコール、ダイフロンほか)は保管、整理、破棄                      を的確に行ない、取り扱う際は火気を厳禁すること。
      ③ 常に環境の整理、整頓に留意すること。
            ④ 舞台や各部屋の最終退室者は、火気について点検したのち退出す
               ること。
            ⑤ 照明器具は、点灯により熱源として直接火災となるだけでなく、
               容量オーバー、ショートなど電気的障害を誘発するので、取扱いについては
               特に注意すること。
       (2) 舞台関係注意事項
            ① 譜面台明り用のコード、電気楽器用電源のテーブルタップ、コー
               ド類は、足や椅子などで踏まれたりしないように整理布線すること。
       ② 上記の電気楽器はセッティングする前に異常がないか点検する
               こと。
            ③ 電飾電灯など使用するときは、業者に、コードの配線や器具の異
               常の有無など安全点検させるとともに、配線設計図を劇場照明担当者に提出
               させること。
       (3) 照明関係注意事項
            ① 日常からコネクターやケーブル、コード類など使用器具の点検に
               心がけること。
            ② スタンド類を使う場合、可燃物の近くを避けて設置すること。
            ③ ジョーゼット幕や軽い生地の幕が使われるときは、風圧によるふ
               くらみに注意すること。
            ④ 点灯に際しては、事前に使用器具を巡回し、安全を確認した上で
               実施すること。
            ⑤ 点灯中の容量オーバーに注意すること。
      ⑥ 点灯したら、器具、コード類に変色部の有無、異臭、異常音、発
               煙などの有無の状況などについてチェックすること。
            ⑦ 終了後は電源の「断」を確認すること。
        (4) 音声関係注意事項
            ① ACコード、テーブルタップ類は使用の前に異常の有無を点検する。
            ② ACコードなど電源コードの布線は踏まれたり傷つけられないよ
               う整理すること。
            ③ ハンダコテの始末に十分確認すること。
            ④ 作業終了後、電源は「断」とする。
        (5) 舞台上での喫煙、裸火使用規制
               主催者は、演出上、または催し物の性格上、舞台上で喫煙および裸火
               を使用するときは、事前に劇場事務所の許可および消防署への届出を必
               要とする。 なお舞台での喫煙や裸火を使用するときは、事務所の指示で主催
               者がその規模に応じ消火器を増強し、特別に主催者側で警戒員を配置しな
               ければならない。
    (6) 舞台装置における電気設備の規制
               舞台装置のために一時的に電気設備を仮設使用する場合、主催者は事
               前に劇場事務所の許可および消防署への届出を必要とする。なお、実施に 際
               しては、劇場専任舞台係及び照明担当者の指揮下に入る。これについての
               一般的規制は次のとおりとする。
               ① 電灯など発熱部は可燃物から離した位置に設けること。
               ② 電灯、電飾などの配線は、著るしく動いたり脱落しないように取
                   り付けること。
        ③ 供給電源線は露出させないこと。
        ④ 電路には自動遮断装置を設けること。
               ⑤ 定格電流の範囲で使用すること。必要に応じ過熱有無を点検する
                   こと。
        ⑥ 機器および電線などの電気用品は、安全なものを使用すること。

                                         (完)        teruakali

 

照明照明を勉強している後輩に助言を ( 42 )

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 6月26日(金)08時59分48秒
  舞台照明を勉強している後輩に助言 ( 42 )

 【 照明にも哲学がなければならない 】   ・舞台照明家のエッセイ

 ハイデルベルヒの街からネッカー川の対岸を見ると、こんもりとした山が連なっている。ここに小徑があって男女大学生がカップルで、しょう遥する。
「君達は何しているんだ?」と聞くと「哲学をしているんだ」と答えたそうな。それからこの小徑を哲学の道と呼ぶようになった。
私は彼等がどんな哲学をしているのか知らない、私は照明のことを考える。照明にも哲学がなければならない ということを言っておきたいのだ。
 舞台照明を考える場合先ず大前提としてそれは芸術であるという認識をもたなければならない。ただ舞台美術において照明が単独に作用することができないところにむずかしさがある。綜合芸術という言葉が使われるように、舞台美術は色々な要素によって組立られる。昔は戯曲と演技だけが重要な要素であった。綜合芸術という言葉が出て来たのは、アピア、グレーグの提唱からであるが20世紀に入って装置と照明とが重要な要素として認められるようになった。そこで照明も同じ比重をもって他の要素と共に舞台美術を構成する一翼の任務を負わされたのである。しかしあくまでも一つの芸術を創り出す一部の役目を果たすに過ぎない。
 そこが絵画や彫刻と違って自己主張だけの独走が許されない点である。こういうと一見奴隷的な屈従の役目に過ぎないようにもとれるかも知れないが実は制約された意志統一のの下に独自の創作活動の行なわれるべき立場のあることを忘れてはならない。
 野放図ではないが制約下において創意を発揮するところに照明の芸術性が確保される。
芸術性とは何か、それが結論へ導くテーマなのであるがまず工夫ということについて語ろう。
 創意は工夫によって生まれるのであるが照明においても色々工夫しなければならない。
「かめ」に塩水を入れて電極を投じた所謂、水抵抗器も昔の調光の工夫であった。
私はスポットライトの溶暗明を調光回路がないため「ホオキ」で作ったことがある。スポットライトのフリッカーは今でも指で行なっている。
 スポットライトを減光するのに調光器が使えなければニュートラルフイルターの明度を選んで遣えばよい、白色光が得たい場合はコンバージョンフイルターを使えばよい。
カーボンアークをタングステンランプと同色調にするためにもコンバージョンフイルターを使う。効果用のスライドは私は常に工夫してその場に合う様なものを作って使う。
こんなことは日常茶飯のことで誰でもやっていることだが照明家は常に全体の効果に目を向けていなければならない。
 学校の先生が何事によらず常に全体を把握しなければならないと教えたのを肝に銘じ入る。工夫に溺れて全体を忘れてはいけない。 創意と反対に模倣ということがある。
 ルーブルの美術館で名画を摸写しているのを見かける。日本画の勉強にも摸写が行なわれる、これは技を磨く手段であって創作を行なっているのではない。
外国の舞台を見て来てあの手、この手を使ってやろうと考えるだけでは模倣の域を脱しない。

 技を磨く手段としてこれをソシャクし創意に結びつけなければ芸術とならない。
 芸術は哲学である。芸術家は自己の哲学をもたなければならない。

                    1978.12       舞台照明家     故 遠山 静男     teruakali
 

舞台照明の勉強をしている後輩に助言  ( 41)

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 6月25日(木)18時48分25秒
  舞台照明の勉強をしている後輩に助言 ( 41 )

    【白い照明】            舞台照明家     故 遠山静雄 ・舞台照明家のエッセイ

 リチャード・ピルブローの“舞台照明”という本の中に、こんなことが書いてある。
「大多数の人は照明といえば色のことだと思っている。シネモイド色フィルターの6番の赤が一番沢山売れているという事実は、如何に短気で粗暴に色があまりにも多く使われているかを示している」。
 一方商業劇場では近年色の使い過ぎに対する反動が見られるようになった。多分にブレヒトの舞台理論に刺激されて白い光の使用に復帰せよという叫びが起こった。(Richard Pilbrowi:StageLighting、1970、P-84) ・ このブレヒト流の白は概念としては把握しているが実際には見ていないので詳細な実体を私は知らない。私は格別ブレヒトを研究したわけではないから、白光照明に対し如何なる理論を展開して来たか知る由もないが、彼の著述の中の断片を見ても概略の想像はつく。
 ブレヒトの書いた「照明」と題する詩がある。・舞台に光をくれ、あかりやさん、わたしたち脚本書きや役者はこんな薄暗がりでは世界のうつしを演じられはしない。薄明は眠り込ませる。だが私たちにいるのは見物の目覚め、つねに覚めていることだ。かれらを白日の下で夢見させろ!ときにはちょびり夜もわるくない。だがそれは月や灯火で暗示できるし私たちの演技だっていざとなれば時刻ぐらいは示せる。《エリザベス朝の詩が夕暮れの荒野をみごとにうたっている》 どんな照明家も、荒野自身でさえおよばぬほどに。だからあかるくしてくれ 私たちがつくったものが辱められた農婦がタヴァスランドの大地の上に、まるで自分の土地のような顔をしてすわっているのが、見物によく見えるように。 (千田是也訳、今日の世界は演劇によって再現出来るか・ブレヒト演劇論集ーP.253)“ブレヒトの思い出”という本に、ブレヒトと共に仕事をした舞台裏方の談話が載っている。技術監督ヴァルタ-の談、彼は照明出身である。
 “ブレヒトの舞台では照明が大きな役割を演じるわけですから、それをブレヒトはよく承知してくれていたわけです。ブレヒトの照明はわたしにも目あたらしいことでした。しかしブレヒトは自分の狙いを何度も説明してくれました。ですからいまわ完全にわかっています”。(それではかれの狙いは何でしたか?)“色調でも雰囲気でもなく、いかにもあかるく、単純で、見通しがきくことでした・それは二つ返事で引き受けられるほど容易なものではありませんが、なにもかも見通せるなら、舞台はそれだけきれいに仕上げられねばなりませんからね。”(それではあなたはね、このあかるい照明が従来のものよりも技術的に難しいとお思いですね?)“ええ、その通りです。装置の片すみにまで観客の眼がとどけば、装置はいっそう念入りにつくられなければなりません。この点わたしは、ブレヒトの晩年、ときどきかれよりも轍定していました。晩年の演出のひとつをしているとき、ブレヒトとわたしは異なった意見をもちました。かれは色調に重点をおこうとしましたが、わたしは光量を希望したのです。後日かれはわたしに手紙をくれました。わたしが正しかったこと、そしてわたしの芸術的手腕がいかに上ったかを自分はいっそうみとめている、と記されておりました。
 ー照明主任エミールの談ー
(ブレヒトがいつも、使用する照明を沢山要求することで、あなたがたは特別の御苦労
  をなさいましたか?)
“ええ、ええ、わたしたちの出来ることはそこにあるスイッチを全部入れるだけでしたからね。
  ところがブレヒトはきまって非常に明るい光を要求してきました。ドイツ座の照明は不充分でしたし、カンマーシュビーレもだめでした。わたしたちはそれでは足りず、いつも補充照明を必要としています。そういうことにブレヒトは倹約しませんでした。”

 これらの資料を見るにブレヒトの要求には色相に関する意見を明瞭にしていないが、所謂白色であることは間違いない。彼が活躍した 20 世紀前半は舞台照明開発の第一期ともいうべきで、既に相当の器機が使われていたのであるが、現代のように高光度の光源が出現していなかった。だからドイツ座ですから彼の満足する明るさが得られなかったのである。色光を使うことは照度の低下をもたらす。だからこれを避けることが彼の一つの方針であったろう。しかし照明の機能については(色光をも含めて)ブレヒトも無関心であったわけではなかろう。
 ピルブローも白色照明の傾向を肯定しながら色光照明の必要性を無視していないことは、彼が例として挙げているいくつかの実演の記録を見ても明らかである。然しそれらの中に使われている色が淡色であり、特にあざとく観客を刺激しないことを挙げている。これは実際に使用されたシネモイド色幕番号を見ても判る(ロンドンのオールドビックで上演された“Love For Love”の例)。
 同じ白色を使うにしても、冷白色、温白色、茶白色、灰白色、緑白色の使用を述べている。われわれが普通舞台で使っている光源は純白色ではない。一般見物には氣がつかないが、やや橙味を帯びている。更にこれを強調するためには淡いアンバーのフィルターを掛けた光で舞台を充満することがある。これをピルブローは、“アンズのジャムを溶かした舞台”だといっている。
 ほんとうの白色光を得るためには、例えば B4のような色温度変換フィルタを用いなければならぬ。私は加藤よう子のモダンダンス「ドレンテ」の例のように、幾度か舞台全般に B4を使って冷厳な白色に包んだことがある。
 こうした太陽光と同じ白色がいつも必要であるとは限らない。白色の範囲はかなり拡げて考えていい。それは演目の種類、場面の雰囲気に従って自由に選択出来る。それが照明家の仕事である。微妙な色調の変化は、普通の観客には認識し難いであろうが、全体の雰囲気、或いは味わいをかもし出して観客に無意識の感銘を与えることが出来る。
 照明家は自ら目前の拍手を期待してはいけない。花束は演者にゆずるべきである。
白い照明の理論は先ず第一に照明の基本要諦である視覚の満足にある。ここで第一と断わったのは、勿論照明の任務が他にもあるからである。
 よく見えるということには色々な意味がある。然しよく見へることは舞台芸術発生の基本条件であることを忘れてはいけない。ピルブローの説もブレヒトの考えもこれを主張しているのである。白照明にはもう一つの面がある。それは、“白の美”に対する認識である。色を使わなければ美しくないという幼稚な考えから脱却することである。改めて白の美しさを発見することである。
 彩画から水墨画へと眼を転ずることである。油絵から日本画を見直すことである。
私は武原はんの舞に対して、この心を通して来た。“はんの照明”“古典の照明”等については随筆「色の道」に書いて来たからここで詳述するには及ばない。
 いずれにしても、照明家は照明の原点に立ちかえって「白い照明」を見なおす必要があろう。

                                        (1980.1)          teruakali




 

舞台照明の勉強をしている後輩に助言  ( 40 )

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 6月25日(木)18時37分47秒
  舞台照明を勉強している後輩に助言 ( 40 )

       【照明断層】         舞台照明家      故  遠山静雄・舞台照明家のエッセイ

 頼まれたから書くのであるが、実のところ、暇があれば研究に没頭したいので、今改めて想を練り、氣のきいた原稿を書く氣がしない。思い付いたまま氣まぐれに書き散らすのだから、甚だ無責任だが読者之を諒とされたい。
                                    ○
 現在、照明家は、設計者操作者を含めて、働きさえすれば相当な金になるらしい。世の中も進歩したものだと思う。私達がこの仕事を始めた頃は、こんな仕事で飯は食えなかった。それでも勉強一途に進んで来た。世の中の事情が違って来たのだから、食えるだけの報酬を貰うのが当たり前だと誰でも思っているだろう。誠に結構である。
 お前は頭が古いと言われるかも知れぬが、近頃どうも奇妙な世の中になったように思う。
 学生が暴行を敢えてし乍ら、世間に迷惑をかけ乍ら、国民の税金でまかなわれた諸々の資産を破かいし乍ら、他人に責任や反省を強い、自らの責任や反省を回避し、大手を振ってまかり通っている状態など、私にはどうも納得しかねる。
 仕事に対する報酬は、その仕事が価値あるものでなければならない。皆が価値ある仕事をしているのだろうか。高い価値ある仕事はどんなに高い報酬を得ても差支ない。
                                    ○
 一昨年モントリオールの劇場で仕事をした。仕込みに、朝八時から夜十二時迄かかった。そばに居た人が「今日、舞台に居る人達はいくら貰うか知っているか」と聞くから、判らないと答えると「今日の一日分は 100ドル位になるだろう」という。邦貨にして 36.000円だ。苦労して頭を使うより、舞台の電氣屋になったほうがましだと思う位。(レート = 1$・360 円)
 日本ではそんなわけにも行くまいが、昔に比べれば格段の差である。この点については小川会長も随分骨を折って下さったことであるから感謝していいだろう。
                                    ○
 三越で恒例の舞踊協会主催の新春舞踊大会があった。出演者の意志によって、舞台を青くしたり、明暗の変化を求めたり、所謂照明の注文をつけたのが何番かあった。いずれも結果は見るに耐えぬ程悪い。前々から、私はこの会の出演者に対してはそんな注文はつけるべきではない、三越劇場の照明設備はどうにもならないのだと説明して来たのだが、以前として毎年同じような結果が生まれて来ている。照明を担当した方には誠にお氣の毒だと思う。
 一般に言って舞踊家などは、照明に対して無知識過ぎる。何とかして教育しなければ駄目だ。中にはその無知識を自覚してか、一切を照明家にまかせる場合がある。私も度々そういう例に遇う。そんな時が一番いい照明が出来る。まかせられた場合、ここぞとばかり腕の振り過ぎで、無駄な照明をして悪結果をもたらすのも困ったものだが。互いの反省は常に必要である。随分前のことであるが私は「腹八分ということがあるが、照明も八分におさえた方が良い」といったことがある。ほんとうの事は 10 の仕事をしな
ければならないのだが、やり過ぎをいましめるためにいったに過ぎない。

                                     ○

 一般に、非色彩的な、非変化的な、所謂なまあかりの舞台照明のむつかしさや重要さは認識され難い。照明家が依頼者から「何もしてくれていない」と思われることを氣にして何とか自分の仕事を誇示しようと余計な手段を考えるようになったらその照明家はおしまいである。

                                    ○

 ジャン・コクトーが世界舞台装置の本の序文に「舞台装置家は同時に技術専門家でなければならない」といっている。舞台装置家は画家即ち単なる芸術家であればいいと考えたら間違いだということをいっているのである。これを照明に置きかえれば「舞台照明家は芸術家であると同時に専門技術家でなければならない」ということになる。またこれをひっくり返して「舞台照明家は技術家であると同時に芸術家でなければならない」ともいえる。どちらも真理である。そしてこの両者を兼ねることが一番むつかしい。なまはんかな芸術家でも困るし、なまはんかな技術者でも困る。
 双方の勉強には限度がないから、照明家はよほど覚悟して平素なまけないようにしなければならない。これは私自身いっていることなのだが、読者に多少でも耳を貸していただくことが出来れば幸いである。
                                             (1969.2)                 teruakali



 

舞台照明の勉強をしている後輩に助言  ( 39 )

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 6月24日(水)17時53分48秒
編集済
    舞台照明の勉強をしている後輩に助言  ( 39 )

   【 恥部は隠すべし 】     故 遠山静雄    (舞台照明家)・舞台照明家のエッセイ

 恥部というのは普通人体について使われる言葉であるが、世間到るところにそうした部分は存在する。繁栄を誇るアメリカにも犯罪という恥部があり、紳士の国のイギリスでも自慢の出来ぬ面があろう。ソビエト(現、ロシア)などはひた隠しにしようとしているから外面には判らぬがどんな恥部をかかえているか知れたものではない。
私はそんなことをあげつらうつもりはない。私は専門の舞台照明に関して語ろうとするものである。
 現在舞台照明に於いてフロントライト即ち FOH を備えることは常識であって、その必要性に就てはここで論ずるにも及ばない。その容量が 100KW を越す状態になっているのを見ても明瞭である。現在では劇場建築の設計に当って当然これらの照明設備を考慮して、客席の天井や壁面内にブースを設ける。ブース内のスポットライトは直接観客の視野に入らぬように設置される。これらの器具は舞台内部に於ける照明効果を創り出すために存在しているので、何もその手の内を観客にさらけ出す必要はない。むしろ隠蔽しておいて観客が気の附かないようにするのが当たり前である。
 劇場の歴史を見ると、バロック以降舞台装置の発達に伴ない、写実的傾向が導入され、プロセニアム形式が固定して、観客は額縁を通した絵画場面を観賞するようになった。
ここに於いて舞台と客席とは判然と遊離し、舞台は幻想的な世界を創造する空間であり、その照明は一切プロセニアムの内側で処理される。客席は社交的な様相を帯びて快適な雰囲気をかもしだすための装飾をもった空間となる。その代表的なものをミュンヘンのレジデンツテアタ(クビリエ劇場)に見ることが出来る。客席はロココ風の装飾過剰ともいうべき華麗極まるものである。 大体 19 世紀のオペラハウスは概してその傾向をもつ。パリのオペラハウス然りである。
 こうして 19 世紀から 20 世紀へかけての劇場は、晴れがましい、よそ行きの正装をした客席の意匠が踏襲されてきた。ところが 1920 年代頃からフロントライトの要求が照明界に流れ込んで来た。既に FOH のブースをを持たない前時代的劇場はどうしたらいいだろう。建築の構造と意匠、それに近代的な照明の要求との矛盾をどう解決したらいいだろう。
 当初建築を設計した人の意に添わないであろうが、背に腹は代られぬたとえの如く、スポットライトを露出のまま壁に取付けるよりほか致し方がない。手品というものは種がわからぬから興味があるのである。それを種明かしするのは、客に媚びへつらう魂胆からであるが、これは興醒め以外の何物でもない。すべて楽屋は公開しないもの。それを敢えて見たがるのは覗き趣味である。
 舞台上の幻想は種を明し、手の内を見せてはならない。隠しておいてその手段を知らさず効果だけを観賞させるのが照明本来の役目である。手段方法は知らせないもの。それなのに殊更メカニカルなスポットライトを露呈して平然たるは、まるで十二単衣に着飾った美女が、胸をはだけて乳をあらわしているさまに等しい。「恥部は隠すべし」。
 百貨店の表構えは、建築家が美観を考えて設計したものであろう。しかし出来上がって店の経営に移ると、たちまち宣伝広告のふんどしをでかでかと垂れ下げる。美観もへったくれもない商魂優先である。建築家はこれを何と見るであろうか。
 今の劇場は掘建小屋ではないから耐用年数は長い。
今世紀初頭以前に建てられた劇場が現在でも多数存在し使用されている。そこへ近代照明の波が押し寄せたのだからたまらない。恥部と知りつつ器具を露呈して用を弁ずる。一つの例として、シェクスピア劇団の本拠である、ロンドンのオ-ルドウィッチ劇場で、1905 年に開場したのが現存している。壁やバルコニーの端にスポットライトの列がむきだしに並んでいる。
 私は恥部は隠すべしと言ってきた。ところが世の中が変わってきた。恥部をさらけ出して何とも思わない時代である、かってアメリカに裸天国というのがあった。原始生活に帰るという意味か、全員裸で暮らそうという集団である。こうなると恥部も何もあったものでない。性の解放という御題目でおおっぴらに猥せつを是認する風潮は戦後の産物と言おうか。昔なら目を覆うであろう絵画や写真や記事が平気で週刊誌を賑わす。
 話を照明に戻そう。
プロセニアム式舞台を打破して、裸の舞台を寄ってたかつてその周辺から眺めようとする運動は既に 1920 年代から始まった。スラストステージ(張出舞台)、アリーナステージ(円型劇場)である。こうなるともう照明器具を隠す場所もなくなって、ええままよ観客に見えたってかまわない、客席の天井へぶら下げてしまえということになる。
 数年前に出来たロンドン随一のナショナルシアターもそれにならった。旧式の体裁主義から機能主義への転換である。エジンバラのアッセンブリホールがその例である。
こうした傾向は一般室内照明にも見ることが出来る。大正時代に間接照明という手法が流行したことがある。温和快適な照明を求めたのである。
 ところが現代は裸電球を空間にちりばめて、きらきらと輝かせる。平和を称える世の中にあえて刺激を求める。欲求不満のせいか。
舞台照明器具の裸方式とは目的が違うけれども、形式の上では軌を一にする。

  【恥部は隠すべしという観念は、もはや通じない世の中か?】         teruakali










 

舞台照明の勉強をしている後輩に助言  ( 38 )   

 投稿者:yukisige@d7.dion.ne.jp  投稿日:2015年 6月24日(水)17時40分49秒
     【我が国舞台照明の創始者・遠山静雄先生を悼む】        舞台照明家 吉井澄雄

 1986 年 11 月 10 日、遠山静雄先生は 91 才の生涯を閉じられた。先生の生涯なかりせば、我が国の舞台照明も、私も、今日の存在ではあり得なかったであろう。日本の舞台照明を担う者の一人として、また個人的にも、先生に心からの御礼を申しあげ、御冥福をお祈りする。   先生は 1966 年に、相模書房から「舞台照明五十年」と題した著書を出されている。それから今日まで 20 年を経ているから、舞台照明 70 年の一生をおくられたとしてよいだろう。先生の舞台照明 70 年のうち、私はたかだか 32 年と、過半にも充たない歳月を知るのみである。先生をよく知る諸先輩には、私の無知による失礼や不正確について、あらかじめお詫びしておくと共に、御叱正をお願いしておきたい。
  先生の最も重要な業績の一つである遠山照明研究所(TIL)についても、私は戦後の、先生が東宝を退社されてからの時期を知るのみだが、先生が舞台照明の世界で何をなさろうとしたかは、昭和初年の、遠山照明研究所の創成期、つまり我が国舞台照明の揺籃期に、すでにあきらかであった。  「舞台照明五十年」に載せられている「TIL月報」13 号の巻頭言に書かれたことが、その意をつくしているのではないだろうか。
「私は舞台照明の実際と研究とに飛び込んだ頃は、我が劇壇に於いては、一部新劇研究の青年間に舞台芸術の一部門として照明が重要であると言う理論を、泰西の劇芸術論から輸入して唱えはじめられたけれども、一般劇界の大勢から見れば何ら芸術的な価値と存在とも認められず、従って照明家の地位もなければ技術もなく設備の貧弱なることは到底近年舞台照明の実際にたづさわった若い人達の想像も及ばぬ位であった。かかる時期に当って、自分が身を挺して我国の舞台芸術に寄与しようとの望みを抱き、幾多の困難を侵してその実践にあたったのであるが、初期の事業として痛切に必要を感じたものは、(優良なる照明器具の設計製産と劇場設備の改革、並びに優秀なる照明家の養成とであった)。
勿論私が巨額の資本を有し、これを投じてこの事業に当ったならば、現在まで十六年を費やして未だ完成せざる仕事は、五ケ年で完成されて居たであろう。
私は孜々として蟻の匍ふが如く、機会を見出し、友を見出し務めてこの道の達成に志したのである」(後略)
遠山先生は東京高等工業学校(現在の東京工大)の電気科を卒業され、技術者として当時第一級のエリ-トコ-スが約束されていた。また独立美術展に入選するほどの絵画の才能にも恵まれていた。我が国の舞台照明界はその創始者に、技術家としても、芸術家としても望み得る最上の人材を得たのだが、御本人にとっては実業界で約束されていたであろう富と名声を失うことになってしまった。
  昭和 9 年 1 月の電気学会雑誌に発表された「舞台照明」は以後の類書の底本となった。
私は日本でこの著作を越える記述を知らない。先生の独創性と正統性は現在も光をはなっている。本年、学問への精進と、あくことのない探求心は畢生の大作「舞台照明学」全二巻に結実した。世界でも初めて、舞台照明を体系化したこの著述の出版を待たずに先生は他界されたが、すでに刊行を準備中で、明年 5 月頃、リブロポート社より発売の予定である。

 元会長小川昇、前会長松崎国雄、現会長大庭三郎、そして日本劇場技術協会会長宮地抗一の各氏は、いずれも遠山門下もしくはゆかりの人々である。
  私たちはどれほど多くのものを遠山先生より得たか、それはこの短文ではとても語りつくせない。もう一度、日本の舞台照明の創始者に御礼を申しあげ、心から御冥福をお祈りする。

                                                         1986.12        合掌

                                                                   teruakali
 

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