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高野敦志氏( 投稿日:2008年 7月16日(水)23時58分27秒)による記述は事実に反する。
徳川時代(江戸時代)、竹島(当時の呼称:松島)は、係争地にはなっていない。
朝鮮王朝は当時においても、現・竹島(当時、松島)を朝鮮領だと主張したことはない。
安龍福のことをいってるなら、むりやりのこじつけでしかない。安龍福は一民間人であり、
鳥取藩に連行される過程で日本側の船乗りなどから「松島」の存在を聞き、それを、
古来から朝鮮にある伝説の島の「于山島」に、こじつけたにすぎない。
安龍福の聞きかじりによる連想こじつけは、以下の歴史事実から明らかである。
一、鬱陵島に何度も上陸したにもかかわず安龍福は、鬱陵島からの竹島の方位をについて
まったく不明である。
二、海自関係者は(水軍の「将軍様」なら尚のこと)、島から島が見えるなら、上陸したり
実際に見て知ってるなら、必ずその方位を正しく記したり伝えるものだが、安龍福は松島
についてまったくそのようなことをしていない。
島から見える方位というものは、極めて正確なものであるが、安龍福の言説には、そういった
形跡がまったく見られない。
三、村上家文書などに残る文献では、安龍福は于山島(安龍福の主張では松島)は、鬱陵島の
北東20kmにあると言っている。松島とは違う、まったくの頓珍漢な方位と距離である。
まして、いかなる島も、その方位、距離には存在しない。
安龍福は当時、朝鮮海事関係者が使っていた架空島(于山島)が掲載された海図を鵜呑みにして、
言ったことが明らである。
四、安龍福は、太宗実録で鬱陵島(72.82km²)の三倍以上の面積(「東西南北二息=16km四方」
=256km²)もあると記される「于山島(流山國島)」を、その千分の一以下の面積しかない松島
(現呼称・竹島:0.23km²)に連想比定した。
つまり、松島を見たことがないから、そのような物理的に比定しえない島をじつけたことが明らかである。
つまり、安龍福の主張は、連想からのこじつけデッチ上げであることは明らかである。
時の朝鮮王朝は、安龍福に対する評価として虚誕妄説の輩という評価を下している。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%BE%8D%E7%A6%8F
安龍福に関する朝鮮政府の公式回答
1697年2月14日に対馬藩が安龍福のことを朝鮮の東莱府使に確認したところ「漂風の愚民に至りては、
設ひ作為する所あるも、朝家の知る所に非ずして(至於漂風愚民 設有所作爲 亦非朝家所知)」と
口答で回答を行っている。また、3月には「呈書のことについては誠に妄作の罪あり」として
安を処罰した事を文書にて日本に通知している。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%BE%8D%E7%A6%8F
参照:「 安龍福の虚言」
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このように、一民間人が領土問題について外国政府や自分の国の政府とを異なる妄言綺語の類の主張を
していたことをもって国際間での「係争の地」だった、というのはこじつけでしかない。
> 高野敦志 投稿日:2008年 7月16日(水)23時58分27秒
>竹島(独島)は江戸時代、17世紀には日朝間で係争地となっていた。
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