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近代登山

 投稿者:印度総督  投稿日:2017年 6月25日(日)15時05分21秒
  > Lさま
 戦前の雑誌『ハイキング』を一まとめ買い、「要塞地帯法」の話をネタにした事があります。そう云うカタイ話の外は、山行レポばっかり載っていて、2、3までは興味深く目を通し、それから先は全部同じに見え、放り出してそれっきりにしています(汗)。当時の登山服装、食べ物、交通手段など楽しそうなのですが。

 登山、ハイキングは、うまいこと「錬成」「聖地巡礼」の大義名分が得られましたが、「ゴルフ」はダメだったと昭和史読み物にちょこっと書いてあったりしてますが、「どうダメだったのか」と云う部分を紹介した本には出会えていません。

> 釘のアタマ
 最初は会社近所の戦前家屋のカベや柱をじーっと見て、写真の何枚も撮ったりしたのですが、経年変化が激しく(要はサビだらけ)、模様なのか錆びて荒れただけなのか判然せず、日比谷の図書館に洋釘会社の社史(戦前刊行)があると云うので読みに行けば、「商品」写真はあれど釘をヨコから写したものしか出ておらず、社史の中に

「其(註・撃鎚器)の一端は即ち鎚頭(つちがしら)で、そこには粗い布目みたいな紋がある。(略)鉄線の小口を、この鎚でドンと撃つので、あの様に潰れた頭ができ、そして頂に布目の模様も付くのである。」

 の記述を見つけ、「網目アリで可」となったのであります。
 その「釘の頭」が映画の何処に出ていたのか、11月の公開から20回ばかし観ていてもサッパリ解らず、4月に新宿の映画館で教えていただき「あーッ!」と驚いた次第です(笑)。
 
 

非っ常にキビシ~ッ!

 投稿者:L  投稿日:2017年 6月24日(土)22時59分33秒
   こんばんは。今月も新記事、ありがとうございます。
 戦中の趣味の生き延び方、非っ常にキビシ~ッ!ですね。これを読みながら連想したのは登山であります。ヤマケイなんぞを眺めていると周年記念号とか第XXX号記念とかがたまに出るのですが、敗戦前の登山界の記事は定番です。
 近代登山は、高学歴な有閑階級の数寄者が外人の登山に感化されて始まったようでまさに金持ちの高尚な趣味でした。その後のGDPの成長と交通の発達、観光宣伝に影響されて大衆化して行ったと。まあ、都会っぽい趣味ですから田舎の人や高小出の皆さんはそれほど関心を持たなかったでしょう。
 で、日中戦争くらいになると、登山趣味も人目が気になるようになってきたと。しかしまあ、登山なんていう趣味は死ぬかもしれないけど出かけてしまうようなビョーキの世界ですから、やっぱり行きたい、どうしても行きたい。そこで、でっち上げた口実が「お国のために活躍できるよう、心身を錬磨鍛錬する修行の場として山に行くのであり、山の神に必勝の祈願に行くのであって決して遊びに行こうというわけではない」という口実だったとか。そこで、軍服を着て木銃を担ぎ、むやみに胸を張って堂々と、でも内心はビクビク出かけた由。もっとも後の北杜夫も松高に入って戦時中にアルプスに行ってますが、流石にそんないでたちじゃあなかったでしょう(誰にも会わず、山が染みるように美しかったとか)。
 かの戦争の時、文句を言われそうなグループの皆さんは”英語は日本語の一方言”をはじめ皇国のロジックを逆手にとって強弁、突っ切ろうとしたわけですが、没論理、反知性全盛ですから憲兵や警官や世間様に「屁理屈いうな」でぶん殴られていそうです。
 カメラの質問の件、来なくて良かったですね~。一般的には資料や証言が多そうですが、もしその場合には息が暫く止まるような盲点についての質問だったのでしょう。釘の頭の網目模様は当時もあったのか?は私も息が止まりました。黒澤明だってきっと、そんな恐ろしい質問はしなかったのでは?小生は思わず釘箱を覗いてみたり、検索してみました。輸入した洋釘製造機がそういう仕様だったと出ていたので網目があったのではと思いますが、正解はどうなのですか?
 

過分なお褒めをいただき恐縮です

 投稿者:印度総督  投稿日:2017年 5月26日(金)21時13分13秒
  > Lさま
 お久しぶりです。
 「近頃の兵器生活は詰まらぬ」と愛想づかしをなされたのかと思い、久方ぶりに「兵器」ネタを投じてみた次第です(汗)。

> 映画への協力
 部屋の古本古雑誌に動員をかけた矢先に東北の震災があり、寝床の復旧を優先したため、総督府は「孤独死した人の部屋」も同然となっております。
 この何年か「一枚モノ」ネタが続いているのは、週末にカントクからお題が来て、遅くとも72時間後には何らかの返信をする必要があったがためでありました(呑んで帰ると新たな『お題』が来ていた事も再三ありました。
 映画完成前の1年弱は実際の制作がてんやわんやしていたようで、こちらは「動員解除」だと思っていたら、「釘のアタマの網目」の有無について問い合わせが来て、日比谷の図書館に駆けつけたのでありました。

 映画の動員が200万を越えれば、復員出来るんぢゃあないかと思っておる次第です(笑)。
 

ご無沙汰しております

 投稿者:L  投稿日:2017年 5月26日(金)17時13分32秒
   こんにちは。ご無沙汰しておりました。映画への協力、素晴らしいですね。新潟などまで遠征なさっていたんですか!実は、トークショーをなさっていたのでは?監督のブログでお名前を拝見した気がするので、斯界ではもはや”公人”でしょう。
 さて、御時勢のお蔭で敗戦前とはどういうものであったのかということに世間様の注目が集まり、ちょいとしたマーケットが生まれたのは大したものです。
 そのような中で、魁としての兵器生活、総督の仕事の重大さと偉大さはいや増していると思います。先日、ツイッターを眺めていたら、”兵器生活に出会って自分も目覚めた。今では古本屋に通って内容をブログで紹介しています”という方をお見掛けしました。この大宇宙の様に、総督のエネルギー、ビッグバンによって”兵器生活宇宙”は猛烈に拡がっているのです。このところの多数の出版やイベント、連続講座も総督のエネルギーが物質化し、星々へあるいは星雲へと進化しているということを示していると思います。
 さて、そんな中で、今月の「少女の友」の紹介は面白いです。ボークスからドール?が発売されるという中原淳一の表紙が特徴だったのに、ちょっとゴッホが入っていそうなリアルな少女にまずびっくり。中身も小松崎研究家なら大興奮ですね。このようにモチーフが顕れ進化していくのかとびっくりしました。
 より面白い題材をというところで、総督が御苦労なさっていることが毎月伝わってきますが、ネット宇宙にこうした題材はほとんど書き起こされていないので、どれをとっても面白いし楽しめると思います。資料の山の中から、ON級の記事をお探しで苦労なさっていると思いますが、柴田、高田はもちろん、末次クラスでも十分面白いし価値があると思います。
 正直申し上げて、斯界の「青空文庫」だと思って伏し拝んでおります。
 今後ともよろしくお願いします。
 

ハム! カルピス!!

 投稿者:印度総督  投稿日:2017年 2月 3日(金)22時38分23秒
  > ささきさん
 実に羨ましい。男兄弟三人はわが家と同じなのに、この待遇の違い(笑)。
 サンタクロースは年一回ですが、進物は盆暮れ二回なんですよね…。

> 「甘いお酒」
 そもそも映画のように口から垂れる程、中身は入ってなかったと思います。
 

季節の贈り物

 投稿者:ささき  投稿日:2017年 2月 2日(木)17時05分31秒
  そう言えば、父は会社では割と顔が広かったので、ハムやカルピスの詰め合わせは毎年届いていた記憶があります。貰った以上は何か返していたんだろうけど、それは記憶にないなぁ。
育ち盛りの男兄弟3人もいればハムやカルピスは困らないのですが珍奇なお菓子類、たとえばウィスキーボンボンは困りものでした。両親は甘いものを食べないし、子供たちは外側のチョコは食べても中身は「うげー、何じゃこの苦酸っぱい変な液は!」と顔をしかめてしまうので、新子ちゃん達のごとく「甘いお酒じゃ~♪」と楽しむどころではありませんでした。
その手の「これは頂いてもちょっと…」という物は例によって「お隣の佐藤さんにお裾分け」という世の中を巡り、貰った側はまた例によって例のごとくまた何かを返してきて、それに対する義理をまた返さなきゃならなくて。古き良き地域共同体の親睦といえばそうですが、社交嫌いの母はブーブー文句を言っておりました(^_^;)
 

ささきさん、姫様ありがとうございます

 投稿者:印度総督  投稿日:2017年 1月31日(火)06時29分40秒
  > 季節の進物
 父が贈答の類を嫌っていたため、カニ缶も素麺もサラダ油セットもサンタさん以上に幻の存在でありましたが、廻るところにはちゃんと廻っていたのですね。
 進物は「贈」&「答」に、「お裾分け/お下げ渡し」があってムダなく成立するのだと云うことが解りました。

> ソ連領海内
 『蟹工船』に帝国海軍の艦艇がくっついておったのはそう云う事でしたか! これはウカツでありました。

> 調理
 某マンガ映画の主人公がいささか怪しい料理をこさえている場面が楽しそうだったので、ツイ魔が差した次第です(笑)。
 

カニ缶

 投稿者:  投稿日:2017年 1月29日(日)16時46分24秒
   ついに印度総督閣下におかれましても、「缶詰料理」とはいえ調理に興味を持たれたことを、不肖、姫、嬉しく思います。先日も職場にて経験10年とは言え、何も出来ない部下に1品伝授しましたので、例え、包丁を握った事のない印度総督閣下にも、御指導する心の準備、姫、用意しております。(経験35年の全てをお伝えします。)なお、日本が戦争に負けてカニ缶を作れなくなったのは、領土を失ったのが原因ではありません。ほとんどのカニ缶はソ連領海内で捕られたもので、ソ連と交渉の上、捕らせてもらっていた物です。
 姫も及ばずながらカニ缶については勉強した記憶がございます。その当時参考になった本は
「漁(すなど)り工(つ)る北洋」會田金吾
  昭和63年8月31日発行 五稜出版社
であります。
 

蟹缶の思い出

 投稿者:ささき  投稿日:2017年 1月29日(日)10時47分52秒
  父方の祖母が書道・日本画の先生でありまして、お弟子さんから頂く季節の進物のなかで蟹缶は定番の地位を誇っておりました。
そしてこの祖母、頂き物は何でも床下浸水2度を誇る湿気た台所戸棚の奥深くに仕舞い込んで忘れてしまう悪癖がありました。
数年に一度父方実家の片付けに行くたび戸棚の奥から発掘される、まさに「錆び・膨張」した高級缶詰めの数々。
ついでに発掘食材のトップを占めたのはカビまくった素麺。
当時の日本にはまだ「もったいない」精神がありましたから、まだ食えそうなものは我が家に持って帰って食卓に上ることになりました。
ペニシリン臭の香ばしい素麺と微妙に金属臭い蟹缶を食べながら、世の中は不合理なものだと思ったものであります。
 

『科学朝日』は良いですねえ

 投稿者:印度総督  投稿日:2017年 1月16日(月)05時31分1秒
  > 5_9さん
 50年70年経ると味が出て来る感じがします。
 総督府の山の中を掘り返して読み直すと「初心」が甦ってくるんじゃあないかと、大いに刺激を受けております。
 

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