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吉澤さまへ

 投稿者:南部  投稿日:2007年11月20日(火)14時35分32秒
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  吉澤さま

南部です。レスポンスに気がつくのが大変遅れてしまい、失礼いたしました。

北村さんとは、あるセッションで知り合ったのがきっかけでした。その後、彼から連絡を頂き、そのままディフェランスのメンバーになり、数年間活動を共にしました。その時に作成したのがアフィニティです。実際にはレコーディングしっぱなしで発売も待たずにロックではない音楽文化の修行のために海外に長期逗留し、結果的に私はバンドを放り出してしまったわけですが・・・

帰国後、TACOのバック・アップを含め、一時的に北村氏の主催する音楽活動に復活しましたが、それも長くは続かなかったですね。私が日本を不在にしている間にも当然ディフェランスは他のギタリストを参加させて活動をしていたわけで、彼を追い出すのも忍びなかったし、彼とのコンビネーションを作るのも難しく、自然と私がフェードアウトしていく形になりました。

後に、何回か復帰要求の電話を頂きましが、「今居るギタリストはどうするんだ?そっちをちゃんとけじめつけてくれないと俺は手伝えない」と断り続けました。でも、毎回、北村さんの答えは「今、俺がやりたいことには南部さんが必要なんだよ」でした。

今にして思えば、「北村昌士」という音楽文化は、本人を中心として様々な資質を持ったミュージシャンで緩やかに構成されていたわけであって、「バンド固有の音、固有のメンバー」というものは、彼の中では価値基準から度外視されていたのではないか、とすら思います。

北村さんが私をどう思っていたかは今となっては分かりませんが、私のディフェランスでの役割は、ソング・ライティング、そして、「方向性を失いそうになるステージをうまくまとめる」ことだったと認識しています。ご存知かと思いますが、時としてディフェランスは「いったい、いつ曲が収束するのだろう?」というような長尺のインプロを展開することもしばしばであったわけで、ステージの状況、曲の進行を見極め、頃合を見計らって「1,2,3,4!」と掛け声をかけて次の展開に進ませることが私に課せられていた最重要な役目、というか、自然とそういう形になりました。ま、その結果、「もう少しでいい結果が出そうだったのに、なんであんなタイミングで展開させたんだ!」と怒られたこともありましたが。

どこかでお会いできる機会があればいいですね。では。
 

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