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  1. ヨハン教会について(370)
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(無題)

 投稿者:モップ  投稿日:2014年 3月17日(月)22時00分19秒 pd28ba7bd.tubehm00.ap.so-net.ne.jp
  アドバイス、本当にありがとうございます。
元信者さんがおっしゃるように、12月にキャンパスのそば、(それは教会のそばでもありますが)、引っ越ししたばかりです。
その日以来、どうやら、早朝も、礼拝に足を運んでいるようです。ウチに居る時には 何度起こしても起きないような息子でしたが…。本人は、本当に角が取れたかのように丸くなりました。また、自己犠牲もいとわないという気持ちも芽生え始めているのではと感じ、なおさら心配です。ここまで熱心になれる信仰心が、一般的な宗教にだったらよかったのですが・・・。
春休みに、短い間ですが戻って来ると連絡がありました。中々、詳しくは話したがりませんが、それとなくいろいろ聞いてみます。また宜しくお願い致します。
 

Yaddy

 投稿者:モップさんへ  投稿日:2014年 3月16日(日)20時06分34秒 115-36-121-203.aichiwest1.commufa.jp
  息子様ご本人がこの掲示板を見る機会があると、状況が変わるかもしれません。ある意味賭けにもなりますが、内部から、外部からの経験が率直に書かれたものですので、ヨハンに対する見方が変わるかもしれません、同じような体験をなされた方がいれば本人の中で迷いが生じます。ただ、冒頭に賭けと書きましたのは、この掲示板自体がサタンの集まりととらえた場合、逆効果になってしまいます。(サタンとはキリスト教の神に敵対する霊的存在のことです。)韓国のビジョントリップに行くという話がでるということは、おそらく現状はヨハンの方とのコミットが生活のほとんどを占めている日々を送られていると思います。ヨハンのいう信仰が是で、それ以外ヨハンに属さない社会、友人は滅び行く存在だと教えられます(約10年前の状況ですので、現在はどうなっているか分かりかねますが…。)ヨハンというフィルターで物事を見ていることから少しでも外に目を向ける機会があればと思います。ヨハンでは偉人伝的なことをよくメッセージにします、そして自分もそれを目指さなくてはと思いこみはじめます、人は信仰によって成し遂げられた他者の奇跡的体験が自分にも起こりうるんだと期待を持ちます、どんなに辛くても命がけで続ければそれが叶うとさえ思います。(キリストは死をもって救いを成し遂げたということから、キリストの生き様を目標にします。)、ヨハンの教える信仰は、そのように身を粉にして人に尽くす事で、友人、知人、家族、駅前で出会った他人までもが皆ヨハン教会に通い始めるという奇跡体験が起こると教えます。それこそが真の喜びなのだとします。でも、みんながみんなこの立場に立てる訳ではありません、心から是を喜びと出来る人はヨハンにいても平気です、一方、ハードワークに疑問を持ちながらも義理人情で交流を深めている場合、外部への接触が重要な時間になります、その中で本人に疑問が生まれればヨハンを客観視し始めます、その時の受け皿となってあげられるのが家族なのではないでしょうか? マインドコントロールというのはあたかも自分で決断したかのように教団の望む方向に気持ちを向かわせるという内容のドキュメンタリーを見たことがあります。その逆も然りです。自分の心で気づき客観視を始めるかどうかです。近日数名の方が投稿されています内容がそのご本人様の“気づき“に繋がればと願います。客観視できた上で自分はやっぱりヨハンに使命を感じるんだとあれば、そこはご本人の意志だと思います。ここで尽くすことに生き甲斐を感じるんだというのであれば、それも幸せなのかもしれません、ただ、決してヨハン教職者やヨハンを通しての受け売りではなく、ご本人のみの深い考慮と葛藤があったうえで、行き着いた答えであればの話です。  

モップさんへ

 投稿者:川島先生にお世話になった者  投稿日:2014年 3月 9日(日)11時07分59秒 119-175-136-177.rev.home.ne.jp
  はじめまして。私も昔、ヨハンに関わっていた者です。

(1)はじめに:当人の発達とのからみ
今回のヨハンへの入信は、18歳のお子さんが親から与えられた価値観を離れ、自分で選んだ価値観で生きてみるという発達との兼ね合いがあります。このとき、血の濃い間柄でヨハンの是非を感情的に話し合うと、彼(彼女)が意固地になる可能性があります。まずは独立した一人格として本人を扱うのが前提になります。

(2)現在とこれからの本人
勧誘後、一年以内に洗礼を受けている場合、ヨハンではエリートコースになります。洗礼後は、教会内部のスタッフになりますので、かなりシフトが入ったコンビニ店員くらいにはハードワーカーになります。金銭的には、モップさんが仕送りされている場合、その1/10は現在も確実にヨハンに毎月納付されています。また、ハードワーカーのため留年の可能性も高いですが、ここで感情的になってはなりません。ご家族が深い情をもって、彼(彼女)の「すべての受け皿」になってあげること、これです。

(3)本人の気づき
洗礼後、教会のスタッフとしてハードワーカーになるにつき、本人も様々なヨハンの矛盾に気付き始めます。あるいは既にあらかた気付いているでしょう。しかし、ヨハンは物理的にも精神的にも信者を縛る方法を心得ています。20,30年以上、彼らはそれを研究しています。本人が「ヨハンを信じている」と言っても額面通り受け取らないほうが良いでしょう。人の心は一かゼロで割り切れるものではありません。ただ、本人が教会の周辺に住んでいるか教会そのものに住んでいる場合、事態は深刻です。本人が気付いていても逃げられないからです。

(4)脱会のきっかけ
大まかに脱会のきっかけを作る方法は、三種類あります。ひとつは「物理的にヨハンから離れる時間をつくる」、もうひとつは「健全な人様の倫理観」、最後は実は「イエスの行動」です。

まず一点目ですが、人間の脳はどんな間違った事柄でも、1,500回ほど同じ話を聞かされると信じるようです。そこで趨勢の分かれ目は今年の8月15日前後です。韓国では光復節とされ、この日に合わせてヨハンは長野で数千人規模でキャンプをします。このお盆の時期に一日でも帰郷させることが大事です。物理的にヨハン以外の空間で息をさせることが重要。その意味でも、繰り返しますが本人が教会近辺に引っ越すか引っ越している場合、事態は深刻です。

二点目ですが、本人が帰郷された場合、モップさんがご親族のなかで「この方は世間の荒波を乗り越えて、体験的な知恵をもって人として優れている」と思われる方を本人と引き合わせ、なんでも良いので世間話させることが重要と思います。できればその人は、~教授や~部長など頭脳労働的なホワイトカラーではなく、肝っ玉母ちゃん的な人が望ましいと思います。本人の気づきと確信に関わります。

三点目ですが、私はモップさんに書店で何でも良いので聖書を購入されることを薦めます。そこで、「~の福音書」と書かれた四編だけを読まれることです。この~の福音書は、紀元30年前後にパレスチナで行動したナザレのイエスという青年の行動を「素朴な記述・ドキュメント」として書かれたものです。実は、ヨハンの行動はこの素朴なイエスの行動とかけ離れています。ただ、この点に関しては即時的で処方箋的な「ハウツー」ではなく、ヨハンや本人の内在的な論理を読むための前提・基礎教養としての方法です。

(5)脱会の手助けとその後のシナリオ
本人が洗礼を受け、今、教会近辺か教会そのものに住んでいる場合、脱会の精神的・肉体的な労力はかなりのものになります。本人が望むなら、引っ越し費用や携帯電話の総入れ替えなど金銭的な面については糸目をつけず出すことが大事でしょう。また、本人にとってヨハンからの脱会は、必ずしもキリスト教の信仰の否定にはなりません。本人が教会を替え、信仰を続けたいと言った場合、それを尊重するのが重要でしょう。

(6)おまけ:入れ込み度合いの測定
ヨハンへの入れ込み具合を測定する方法として、簡単なものに「使っている単語やセンテンス」をみる方法があります。たとえば、ヨハン人は「(牧師に)従順する」という言葉を頻繁に使いますが、これは他言語から日本語への直訳と思われます。あまり日本語としてしっくりくるものではありません。このように耳慣れない日本語が頻繁に出る場合、入れ込んでいる可能性が高いでしょう。また、「サタン」という言葉が本人から出たり、過敏に反応するようですと、少し深刻です。

いずれにせよ、ヨハンを抜けられるなら一留、二留年など安いものと寛容に構えることが重要です。
 
    (川島堅二) 大変ゆき届いた投稿をありがとうございます。信者を引き合わせる人が~教授や~部長ではなく、という点は、耳が痛いです。確かに脱会の意思のない信者を、私の説得で脱会させたことはありません。いつも無力を痛感しています。  

モップさんへ

 投稿者:ヨハンの元信者メール  投稿日:2014年 3月 8日(土)01時16分41秒 pw126202205183.46.tik.panda-world.ne.jp
  息子さんは春休みに韓国…という事ですが、ただの韓国旅行ではなくビジョントリップというものですよね…きっと。

その感じですときっとマインドコントロールというか、完全にヨハン教会に依存してしまっていますね。私も以前はそうでした。ですが、その時にまわりから何を言われようが依存したヨハンから離れる事は出来ませんでした。

今は息子さんを無理に離脱させようとしてもムキになり更にヨハンにのめり込むでしょう…

川島先生がおっしゃってるように、まずは息子さんの話しを優しくじっくり聞いてあげる事から始めたらいいと思います。

このまま行くと大学卒業後には「献身」させられる可能性が非常に高いです。

そうなると離脱は更に難しくなります。



先日、元統一教会の信者の方とお話しする機会があり、ヨハン教会の内情を話しました。そしたら、あらゆる面で統一教会と似ている!と言われ、その方は思い出して恐怖で震え始めました。


息子さんの話しを聞いて行く中で、世間一般に知られている、正しいと言われていない教団の話しをしたりして、あ、ヨハンに似てるかも。とか思わせたり、徐々にヨハンに疑問を持たせて行ったらいいと思います。(あくまで私の考えですが…)


今はヨハンスタッフにチヤホヤされ、反対してもヨハンはいい所だよ!などと言うかもしれませんが、モップさん!負けずに頑張ってください?



 

(無題)

 投稿者:モップ  投稿日:2014年 3月 7日(金)21時28分16秒 ai126248148196.9.tss.access-internet.ne.jp
  親元を離れ、地方の大学に通い始めた息子が、ヨハン教会に入信し、親の反対をよそに 洗礼まで受けてしまい、この、春休みには、韓国まで行くというのめりこみようです。
親としてどう対処すべきか、アドバイスを頂けたらと思います。よろしくお願いいたします。
 
    (川島堅二) 根気強く対話を重ねるしかありません。親子で心から話しあえる信頼関係を築き、まずは入信の理由などよく聞いてあげてください。同時に、この教会の問題点について勉強され、対話の中で息子さんがそれに気づけるように支援すること。親にできることはそれくらいしかありません。もし本人が私との面談を希望されるときにはご連絡ください。喜んで時間を作ります。  

(無題)

 投稿者:ヨハンの元信者メール  投稿日:2014年 3月 6日(木)22時18分31秒 pw126202205183.46.tik.panda-world.ne.jp
  ヨハンを離脱して他の教会に行き始め、だんだんその教会に慣れて来ました。
最初の頃は何かもヨハンと違い、同じ聖書、同じプロテスタントの教会なのに全く違う宗教に感じました。

ヨハンは戒めが多かったです。今通ってる所は励ましが多く、毎週元気づけられます。

ヨハンは戒めが多いので、長く通うにつれ段々必要以上に自分を責めるようになって行きます。どんどん追い込まれ、今でもヨハンでのトラウマは残っています。

とにかく「神様」ではなく、「先生」や「筍長」を気にして教会での生活を送って来た感じです。

何にしても教会優先なので職場でも不満を持たれ、精神的に来て退職へと追い込まれます。

ヨハンに通い続けると、精神的肉体的経済的にも破壊されます。

ヨハン教会は本当にお勧め出来ないです。
 

かなり久々の投稿です

 投稿者:noa  投稿日:2014年 3月 5日(水)03時00分52秒 pw126205006140.3.panda-world.ne.jp
  今は関東住みで、先日ヨハン教会の方に声をかけられる機会があり、ここを思い出しました。
以前、こちらで救っていただいたnoaです。もう7年前くらいでしょうか?被災地のヨハン教会と関わってました。

無関係になってからも、しゅん長?グループ長?だった方のことをかなり思い悩みました。この方を信頼してたので。韓国語も教えていただいてました。
私が敏感すぎたのだろうか。韓国のスタイルなだけでヨハンはおかしくないのかな、、、と。
韓国人が集まりそうなとこを探して韓国の教会について調べてる過程で今の主人と知り合いました。主人は交換留学生、とある地方のヨハン教会に一度行き、その後も強く誘われたが怒って断ってから誘いはないそうです。主人もあそこは違う、、、との意見でした。主人の友人もその後誰一人行かなかったそうです。ちなみに当時寮にいきなり知らない韓国人が訪ねてきて誘ったんだそうです。

7年の年月が経ちもう当時のことはよく覚えてませんが、神様を使って脅すような言い方をする女性の宣教師が怖かったです。それだけ鮮明に脳裏にやきついてます。
悩んでる方いたら、絶対行かないでください。韓国の興味とかそんなんでも行ってても、簡単には抜けれなくなりますよ。

私は5年前に韓国人と結婚し一男一女の母になりました。ヨハン教会との出会いがなきゃ今の幸せはなかったのかもしれませんが、先日ヨハン教会の字がはいったビラを街中で渡されそうになった時はぞくっとしました。あれ以来、教会が怖いです。
 

お勧めします

 投稿者:川島堅二  投稿日:2014年 2月23日(日)09時56分58秒 pw126254151061.8.panda-world.ne.jp
  色野そらら『告白 とある宗教とわたし』

十代の多感な時期に「幸福の科学」に入信してから離脱までの経過を綴った書。AmazonのKindle版など電子版しか流通していませんが、カルトや宗教問題の当事者、ご家族、すべての人に読んでいただきたいと思いました。とくに家族や友人、恋人など、大切な人が、社会的に問題ありと言われる宗教に入ってしまった人にお勧めします。寄り添い理解することが、問題解決への第一歩ですが、その役に立つと思います。また、離脱はしたものの、まだ心のモヤモヤが拭えない元信者の方には、心の整理に役立つと思います。
 

(無題)

 投稿者:ぱーこ  投稿日:2014年 2月 2日(日)10時50分9秒 FL1-122-135-103-29.tky.mesh.ad.jp
  ヨハン教会に通っていた時間と、同じだけのときが流れました。
時という壁を隔てて思うことを、書かせてください。

もし、色々なものが混ざっている状態を、そのまま受けとめることができたなら。何が正しいではなく、構造を見極める眼があったなら。
誰かの正しさではなく、自分の道を踏む一歩を知れたら。
真実という立体。ひとりの人間が知れるのはその断面であること。
それでも譲れないものを抱きながら、自分の道を行くことしかできないことを、
あの時知っていたら。

私が若さをなげうって学んだのは、それくらいです。

ヨハンという場所が、社会において異質か。普遍的か。
異質だったから出て行ったのでしょうが、出た先の社会でもヨハン的なものには出会います。
欺瞞。
私が最も「ヨハン的」、とつぶやくようになったのは、そういう性質です。
馬鹿にしているのに気づかなかったり、清く正しく美しく見えるものに酔ったり、○か×で考えたり、覚悟のない正義であったり…そういう、現実に覆いをかけてしまう状態。自惚れです。
でもそれは、人間の業ではないでしょうか。
そういう性質が磁石のように引き寄せられて、ヨハンという団体に入り込んだ。そこで先へ進めなくなるほどの不便が生じたからとりあえず出て行った。でも内部の問題は自分で出口を見つけていくしかなく。その過程において事の病巣、自分なりの答えを見分けるようになった・・。
私のこれまでの人生です。
ヨハンという教義に染まったのが初めではなく、元々私という人間に染みついてた癖が、あの世界観に没入させ、こじらせていただけです。ヨハンはただの、磁石であり、増幅装置です。

ヨハンは、人が産み出したものです。
それはヨハンだけでも、宗教、カルト、という枠でもありません。
だから私は、あの場所で感じた「ヨハン的なもの=欺瞞」を。自分の中に。人の中に。ヒット曲に。思想に。三面記事に。裁判に。歴史に。
今も出会うのです。
人間社会というものが一つの人間の身体であれば。
ヨハンを人類のハート(心臓)だ、ブレイン(脳)だ、(解毒する)肝臓だ腎臓だ、と言ってはばからない人間も、この世には存在しますし。癌細胞だ、排泄物だと思う人間もいます。ある人にとっては、存在にすら気づかないのに痛み出すかもしれない盲腸かもしれません。
私自身は、寄生虫に近いのかな、と思ったりもします…
ただ一つ共通して言えるのは、ヨハンに流れている血と同じものが、その外部にも流れているということ。ヨハンを恨んでいても、称えても、批判しても、無関心でも。
人にできるのは、そういった本性に注意深くあろうとすることだけ。それは、後天的なもの、ある種の訓練の積み重ねで鍛えるものなのだと思います。

だから私はあの場所を、懐かしく思い、もう戻ることはないだろう・・と思います。
あの場所は私にとって、その前の小、中、高校と同じようなものです。
同窓会にはいきませんが、私は幼小中高の同窓会にもいきません。会いたい人には会うだけなので、そう思うのかもしれませんが・・
 

NHKラジオ第2「宗教の時間」

 投稿者:川島堅二  投稿日:2014年 1月29日(水)12時56分20秒 keisen-gw-2.keisen.ac.jp
  NHKラジオ第2「宗教の時間」に出演。カルト問題について話します。

2月2日(日)午前8:30~9:00
2月9日(日)午後6:30~7:00(再放送)
「空白の時代に~若者にひろがるカルト~」

詳細は以下のリンク先に
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2014-02-02/06/96587/
 

ヨハンについて

 投稿者:ヨハンの元信者メール  投稿日:2014年 1月18日(土)00時30分1秒 pw126206147120.50.tss.panda-world.ne.jp
  ヨハンから離脱した人がそれぞれの思いを持って離れるのは当然だと思います。
先生や筍長は人によって態度が全然違うので、受ける方も変わって来ると思います。
他のヨハンはどうかわかりませんが、私が居た所では、大学生で先生や筍長に従順する人は特に可愛がれ、何かにつけ褒めます。そして色んな所に用います。そして更に褒めます。推します。芸能界みたいな感じです。従順出来ない人は干されます。
信徒は皆神様を見るのではなく人を見ています。競争が激しいので嫉妬や陰口がよく見られます。
30代以上の社会人はお金お金…でお金ばかり要求されます。
大学生は将来献身させる為に至れり尽くせりです。差別が激しいです。
いい気分にさせ筍長にさせた所で献身の話しがあります。圧力と今まで散々お世話になったので断る事が出来ず結局献身してしまいます。
もうそこまで来たら後戻り出来ません。
献身って無理矢理させるものでしょうか?
筍長達が疲れきった顔で奉仕する姿や不機嫌そうに奉仕する姿は見ていてとても気分が良いものではありませんでした。

教会を変えた今、信仰とは何かハッキリわかりました。
色んな面でヨハンはズレています。
ズレた信仰、過酷な弟子訓練(偏っていてヨハンの都合のいいように解釈している)でもいいよ。と言う人以外は行かない方がいいと思います。
 

「決定的に幻滅する出来事」について

 投稿者:匿名メール  投稿日:2014年 1月16日(木)19時37分43秒 KHP059139077005.ppp-bb.dion.ne.jp
  川島先生、私の長々しい駄文に目を通していただき、
また掲載していただきありがとうございます。
ご質問にお答えします。


具体的な場所の言及は避けますが、要はとある他の宗教施設の真ん前で、
その宗教をもろに否定する言動を信者がしているのを目撃した、というのが理由です。


勿論それまでにも牧師や信者のそういった発言は耳にしていましたが、
それはあくまで内々の発言であり、
流石にこの人たちもよそでそのような非常識な真似はすまい、と思っていました。
それがあろうことか・・。


この人たちには異教に対する最低限のマナーもなければ、
自分達の信仰を客観視する謙虚さも持ち合わせていないのだな、と失望したのです。


そんなちょっとしたことがきっかけで、離れることになりました。
 
    (川島堅二) ありがとうございました。

よくわかりました。
 

ヨハンと私

 投稿者:匿名メール  投稿日:2014年 1月15日(水)23時19分14秒 KHP059139077005.ppp-bb.dion.ne.jp
  初めまして。匿名とさせてください。



先日何気なしにネット検索をしていまして、偶然「ヨハン早稲田教会」という懐かしい名前を見つけ、
貴サイトにたどり着きました。
そしてかつて関わっていた教会が多くの方を深く傷つけてしまっていることをここで知り、今、非常に驚いている次第です。

私は現在特に信仰している宗教もなく、またヨハンにて信仰を告白したこともなければ洗礼も受けていない人間です。
ヨハンには大学在学中のおよそ4年間、ごく浅い付き合いながらも関わっていました。
私のような、ヨハンに深入りしないままに関わっただけの者の体験でも皆さんの参考になればと思い、ここにコメント致します。
内容に差し支えあれば非公開として下さい。


私が最初にヨハンに出会ったのは今から10数年前、大学の授業後に同じクラスにいた学生(後の私の筍長になる人物)に
ゴスペルコンサートに誘われたことがきっかけでした。
連れて行かれた場所はまだ引っ越す前の教会だったと思います。
その時には「ああ、キリスト教の勧誘かあ」と思いましたが一見してまともそうな教会でしたし、私自身一神教には懐疑的で信仰を持たない自信があったこともあり、「キリスト教について学ぶ良い機会だ」と考え、自分なりに距離感を保ちつつしばらくつきあってみることにしました。

教会では牧師さんも信者さんも皆人懐っこく笑顔を絶やさずに出迎えてくれ、また礼拝後の食事もおいしく、こんな暖かい大きな家庭のような空間が都内にもあるんだなあ、と感じました。
いわゆるラブシャワーは数回受けましたが、これが実にこっ恥ずかしく(私は讃美歌も歌詞が大嫌いで結局まともに歌ったことはありませんでした)なんでこの人たちは自分たちの内輪の感覚でばかり話を進めようとするのだろう、となんとなく感じました。


その後の日曜礼拝にはたびたび訪れ、夏のキャンプ(COSTA-JAPANだったと思います)クリスマスコンサート、富士山麓での冬季キャンプなど(4年間を通してそれぞれ一回ずつぐらいでしたが)、自分の都合がつく限り、誘いに応じて参加しました。
肝心の説教の内容については、教会で韓国人の牧師さんの話を何度聴いても、部分部分で納得することはあれど、信仰に至るまで共感することはありませんでした。
なにより他宗教を批判する際の言動、また異性関係や婚姻に対する頑な過ぎるほどの保守的な態度が私にはどうにも鼻につきました。とはいえ当時は「伝統的なカトリックも離婚は禁止しているそうだし、こういう保守的で原理主義的な教団もキリスト教にはあるんだろうなあ」くらいの認識でおりました。

大学内の一室を借りて牧師さんを招き、教会に通っていた数名で聖書の勉強会が開かれることも何度かありました。
学生課に目をつけられていたようで、メンバーが「宗教的な集いは困ると学生課から言われた」とこぼしていたのを憶えています。


他の方のコメントにもある通り、クリスマスコンサートでは、ゴスペル(バンド編成のホワイトゴスペルに近いもの)の後に、長くて暑苦しい説教と祈祷がありました。外部から来た日本人の牧師でしたが、その内容たるや例によってだんだん絶叫調に変わるようなエキセントリックな代物であり、内心「これはまずいだろ」と思いながら聞いていたのですが、案の定、コンサート目当てに来ていたであろう人達の中から途中で退席したり、或いは顔面蒼白でじっとうつむいて耐えている人が出てきてしまい「せっかくノンクリスチャンを招いて行っているコンサートを、なぜこんなふうに台無しにしてしまうのだろう」と、実に後味悪く感じたものでした。


KOSTA-JAPANでは猛暑の中、講師の方が(外部から来た牧師さんも含め)入れ代わり立ち代わりで同じような内容の説教をするため、聞いていて実に辟易しました(行かれた方のコメントでシャワーを浴びる暇もなかったという記述がありましたが、私が参加した際には食事・入浴・睡眠時間等、全て十分に取られていました)。
最終日の最後の説教は体育館にて行われ、長くて情熱的な話と祈祷の後にパンとワイン(?)が用意され、係りの先生が指先ほどにちぎったそれを各自の目の前に出して回っていました。私は洗礼的なものと判断し、受け取りませんでした。


勧誘に関してはそれほど執拗な印象を受けませんでした。
ちょっとしつこいぞ、と思うことはあっても、こんなものはよその宗派も似たりよったりだろうと高をくくっていましたし
(そういう意味では実に鈍感なのですが)、電話も件の筍長から折に触れてかかってはきましたが、一日中鳴りっぱなしなどということもありませんでした(日曜礼拝から帰る際、教会の入り口で「なんで来ないんだよ」と携帯で怒鳴っている人間を一度だけ見たことはあります)。
当時PCはおろか、メール機能のない携帯しか所持していなかったということもありますし、私を担当した筍長の性格(穏やかで押しが弱く、議論に向かないタイプ)がそうさせたということもあるかと思います。
私の場合、献金についても強要されることは全くありませんでした。「いつもお世話になっているのに申し訳ないな」と思い、二回ばかり千円ほど礼拝時に回ってくる網に寄付しましたが、筍長から「信仰がないならばお金は払うべきじゃないよ」とやんわりたしなめられたくらいです。このコメント欄でもどなたかが指摘されていましたが、私も「育たない苗」として早くから見切りをつけられ、そもそも期待を持たれていなかったのだと思います。


私を誘った筍長とは、信仰を巡ってずいぶん議論もしました。
前述のとおり、あまり口のうまい人ではなかったため、今にしてみれば彼も言いたいことを上手く伝えられなかったのかな、と思います。私が教会に来ない事を電話口で怒鳴ったり、何度も家に押しかけて強要するようなこともなく(一度だけ自宅に遊びに来て教会の話をされました)、いつも穏やかに諭すような口調で、でも自分達の信仰については頑として曲げず、それでも議論には常に応じてくれました。彼からは、うちの教会は他宗教に寛容であるというような内容の発言もたびたび聞きました。それが説教で耳にする牧師先生の発言とは食い違っていた為、その旨を指摘すると「あれはみんなの前でパフォーマンスとして行っていることだから、つい過激な表現になってしまうんだよ」と返されたこともあります。

私は彼の穏やかで愛嬌のある性格を好もしく思い、出来れば教会抜きでただの友人として付き合いたいとずっと思っていたのですが、彼の話を聞いていくうちに、それはどだい無理なことなのだと悟るようになりました。


その後教団に対して決定的に幻滅する出来事があり、私は教会へ行かなくなり、私が大学を卒業し地元へ戻ることによって、彼らとの関係は完全に途絶えました。教会の誰かから引き止められることもない、実にあっけないものでした。月日が流れ、彼らの存在はいつの間にか私の記憶の遠く彼方に消え去っていました。



独善的な教えに対する反発と、信仰など持ちようもないという諦念と、家庭的な暖かさへの安心感と、ちょっとした気持ち悪さと・・ヨハンにかかわっていた時の私の想いは、実に言葉にし難い、複雑なものでした。


私は彼らの在り方への違和感を、これまでさほど抱かずに過ごしてきました。
宗教とはどんなものであれ、程度の差はあれども排他性や独善的な傾向を帯びてしまうものである、あの教会は偶々私の考えとは相容れなかったに過ぎない。
今でもそんな風に思うことすらあります。
宗教について考えるきっかけを得たのも彼らとのかかわりがあったからですし、そういった意味では皮肉でもなんでもなく、感謝の念すらあります。
実際彼らがカルト的な存在として扱われていることをこのサイトで知り、あれしきのことでカルト認定されてしまうものなのか、そもそもカルトとはなんなのか・・そんな疑問がないわけではありません。
繰り返しになりますが、ここで述べられているようなヨハンの性質・傾向は程度の差こそあれ、他の宗派・他の宗教、ひいては全ての人間が備えている怪物性、人としての業のようなものに思えて仕方がないからです。
しかし常軌を逸した勧誘や引き止めが幾度となく繰り返され、また信者や筍長として篤い信仰を持ちヨハンに長期間深く関わった末に、とても癒しがたい心の傷を負ってしまった人々がこれほどまでにいらっしゃるということは、やはりまともなキリスト教の教えからは逸脱した教団と認定されざるを得ない、ということなのでしょうね。


どなたかが仰っていましたが「安全な宗教とそうでない宗教が存在するのではない、あらゆる宗教に良い面と危険な面が存在するということ」。この一言に尽きるような気が致します。



冗長で取りとめのない文章になりました。最後まで目を通していただきありがとうございました。
 
    (川島堅二) 貴重な経験談をありがとうございました。あえて言えば、ヨハンに行かなくなる直接の原因となる「決定的に幻滅する出来事」がどのようなものであったのかが気になりましたが、具体的に教えていただくことは難しいでしょうか?  

川島教授へ

 投稿者:元信者  投稿日:2014年 1月14日(火)18時06分32秒 174.194.145.122.ap.yournet.ne.jp
  (一部編集の上、公開します。)

私はとある都内の大きな教会にいるものです。神学生もしていますが、ヨハンで4年いました。先日ばったり、ヨハンの元信者と出会い、この掲示板を知りました。

私自身、ヨハンに4年いて独立補助旬長でした。、いまは信仰生活を送り、神学校にも通い、メッセージを語らせていただいております。過去にも多くのヨハン信者が私のところに来ました、人気があるようなことばかりやっていたので、ほとんどの人は私を知ってると思います。それに何人も引き続き信仰生活を送っていますし、結婚もしています。ただ、やはり現実、10人離れれば、ほぼ、信仰生活を教会を送る人は一人くらいでしょう。私の仲間10人以上、教会に通うこともせず、信仰もありません。これをすべてヨハンのせいにしてしまうのですが、私自身、ヨハンがあったからこそ、信仰を持つこともできました。ヨハンで私を伝道した人とは今ではお付き合いしてます。正直川島教授のところに相談される人は、自分は完全に被害者であると認識されてる方が多いのではないかと思われますが、私は被害者意識をもって出たわけではないですから、ちょっと考え方が違うのですが。どうでしょうか?
 
    (川島堅二) 投稿をありがとうございました。

ヨハンに限らず、人が宗教団体を離脱する理由はさまざまであることは認識しています。

離脱の際に私に相談に来た人もいろいろで、ヨハンに対する強い憎悪や嫌悪感、被害者意識をもって離脱した人もいれば、そういう感情はなしに、むしろ、ヨハンに感謝の気持ちを持ちながら、しかし、ここで信仰生活を継続することはできないと自ら判断されて、離脱された方もおられます。

したがって、ヨハン離脱後、教会生活を続けている人も、そうでない人も、私の経験でもさまざまです。

この掲示板の目指すところは、そうした多面性をもつ主観的な経験をモザイクのようにつなぎ合わせて、この団体の姿を理解する一助にしていただきたいということです。

とくに否定的な事実情報で、私が事実を確認し得ない部分については、削除、あるいは編集して公開していますが、それでも誤りや見落としはあるかもしれません。その場合には具体的にご指摘いただければ幸いです。

ただ主観的な感じ方(被害者意識など)は、投稿者の本人が確認できれば、本人の記述、感じ方を尊重して、そのまま公開しています。

 

質問

 投稿者:  投稿日:2014年 1月12日(日)02時14分39秒 125-14-162-104.rev.home.ne.jp
  素朴な疑問があります。
ヨハンの元信者の方が、入会中に個人的に体得した信仰のうち
現実社会で善い行ないにつながるものは、
批判されるべきでしょうか。
 
    (川島堅二) それは特に批判されるべきではないと思います。  

ヨハン教会についての投稿

 投稿者:川島堅二  投稿日:2013年12月12日(木)13時23分8秒 keisen-gw-2.keisen.ac.jp
  先に「ヨハンと聖書」の投稿を匿名でされた方より、ヨハンで経験された「監禁」と「暴力」について、具体的な経験談が寄せられました。長年の直感から信頼できる内容と思いましたが、慎重を期して、その部分はご本人に直接(できればお会いして)確認の上、改めて公開したいと思います。

(匿名投稿者の方へ、cult110@hotmail.comにご連絡いただければ幸いです。)

以下、「監禁」「暴力」の部分を除いて、有益と思われる内容を一部編集の上、公開致します。

〇ヨハンに疑問を持つ方へ
ヨハンのキャンプは拘束時間が長く(個人的には洗脳に近いと感じた)自由時間は2時間しかありません。
信仰献金と称した献金集めをしています。
筍長会議では、信仰の話しでは無く、人数の話しをしています。

そして次週の目標人数を設定、目標人数を達成しようとしています。

その為、強引さが生じます。
「訪問」が良い例です。

キャンプやコンサートの勧誘に強引さが生じる理由も同じです。
一番の難点は、活動熱心だが信仰が無いことだと私は思います。
ヨハンに疑問を抱かれている方は、むしろ信仰がある方であると思います。
ですので、信仰を守って下さい!

離れるとき
〇内容証明←連絡がしつこい場合に有効
〇電話やメールを無視

※内容証明の書き方
「私、〇〇は本日をもってヨハンを退会します。
 尚、家に来たり、メール、電話を一切かけてこないで下さい。」

この書き方をすれば、絶対に躓いて「悔い改め」をさせられたり、私たちの様な経験をしないで済みます。

それでも連絡等がきた場合、内容証明の控えを持って警察ないし法律事務所へ行って下さい!

そうすれば必ず、皆さんと皆さんの信仰が守られます。
 

ヨハンと聖書

 投稿者:匿名  投稿日:2013年12月 4日(水)17時33分36秒 s629121.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
  前もってですが、全てはイエス様に栄光がありますように!

先日書き込み致した者です。
今回は、より掘り下げていきます。
掲示板の書き込みを改めて拝読致しました。
これは1部分と考えてもおかしく無いでしょう。

なので、私の体験談から信仰に至ったまでの流れを書きます。

【ヨハンとの出会い】
今から15年ほど前の9月に、ヨハン関係者からヨハンに誘われました。

同年11月、洗礼、その後、本格的に活動を開始しました。

当時は学歴が強かったのですが、活動を通じて異名が付けられ、【私=伝道王】という方程式が成り立ちました。←伝道なら私に聞け!と、言われる程でした

活動がきっかけで、短期間で筍長になりました。
弟子訓練も一通り受けました。



救いの確信が無く、同時にヨハンに疑問を抱き始めました。

簡潔に
○筍長会議では目標人数を設定、上回ればOK、下回ればNO
○堂会長の下(日本人/韓国人のボス)が、人数について机を叩く
○筍長の殆どが人数の熱呈。←食事のみ/個人礼拝(暗黙)
○献金で堂会長が激怒

などがありました。
当時の私のメンター(今では物凄く仲が良い)と私が離れたときからおかしくなり、サラン教会などからバッシングを受けました。

その後、神学校へ入学、救いの確信を得ました。
神学校卒業後→武蔵野ムーブメント→赤坂ムーブメント→奥多摩ムーブメント(ここで牧会)→クリスチャンカウンセラーという流れです。

【伝道】
聖書:福音を伝えなさい
ヨハン:教会に連れて来なさい
※エクレシアは、仲間。使徒を見ると、イエス様を信じた→エクレシア

【メッセージ】
聖書:イエス様とイエス様の教え
ヨハン:聖書を活用した自分達の教議と神学
※牧会経験から、ヨハンは明らかにズレている

【弟子訓練】
聖書=イエス様の似姿とイエス様の働き人の育成
ヨハン=教議(ヨハン神学)によるヨハンの働き人
※ヨハンのディボガイドはヨハンが編集、弟子訓練は堂会長の【聖書】を活用したもの

【信仰】
聖書:イエス様との関係と聖書
ヨハン:強要(奉仕など)←献金+活動による
※聖書では、信仰に段階があり、強要してはいけないとある

【献金】
聖書:十分の一。それ以外は任意
ヨハン:強要
※聖書では、右の手がしようとしていることは左に告げるな=思いっきり告げている。←競争心が生まれる。これはガラテヤによると【肉の業】

【リーダーシップ】
聖書:人格と信仰
ヨハン:最低一人、洗礼者を出したらリーダーシップ

【その他】
キャンパス活動=学校に無許可(主にあってこの~に反する)

就活/家庭セミナー=上記と同じ

正体隠し/バレたら逃げる=偽証

ゴスペルコンサート=表向きはコンサート。実態はコンサートを餌にした活動。あの人達、売れて無いんじゃないかな?←売れていたら、あんなに滞在出来ないはず、売れている音楽関係者なら尚更。

説得=人数減の防止←実際、イエス様が違う教会に移すこともある。任意でも赦される。
※友人は8時間監禁、ある友人は夜中の2時に家に来て、襟首を掴まれ、私は暴力を受けた←全員リーダーシップ

ヨハンの礼拝人数=熱呈。日本人礼拝+夕方礼拝+食

事のみ+個人礼拝+人数上乗せ+日本/夕礼拝に参加した外国人=人数←計算して弾き出しました。

伝動=強制(イエス様を伝えていない時点で、勧誘だな。)

他教会との交わり=ヨハン禁止。おそらく人数の為。他の教会は一致している。

セミナー=ヨハン禁止。実際、セミナーで救われたり、信仰が成長することが良くある。←講師を務めた経験も含む。

教会から離れる=堕落する。実際は、神学生になっている人や、リーダーシップを取っている人等がかなりいる。←ヨハンから離れた人間で一番最初に神学校へ行ったのは、私です。

余談
ヨハンを離れたの殆どが私や友人のところに来ます。


【辛いとき】
距離を置く=イエスは群集を通り抜け
離れる=躓きになるなら、躓きになるものを切り落としなさい
※ポイントは、【内容証明】で必ず送ること。←後が守られる=守りを固める(敵が大勢で攻めて来たとき、使者を遣わす~ルカ)

今回は、先日までフォローしていた現役ヨハンの人から聞いた話しも混ぜています。

コスタ、冬、年末断食、木曜、土曜は強制的では無く、任意。←本来

信仰献金はしなくていい。信仰というなの信仰虐待に近い、どう考えてもあれは。

以前、日曜日にバイトが入った子がいて、筍長がバイト先に電話しようとした。

よくあるのが、頻繁な電話やメールや訪問。これは躓きを与えるだけ。←私とコンタクトを取ろうとする方の話しをまとめてみました。

大体このようなものでしょうか。
 
    (川島堅二) 重ねての投稿をありがとうございました。

文中、礼拝の出席人数に関して「熱呈」という表現がありますが「捏造」(ねつぞう)のことでよろしいでしょうか?

それと「説得」のところで「友人は8時間監禁・・・わたしは暴力を受けた」とありますが、差し支えない範囲で、具体的にどのような状況だったのか、さらにご説明をいただくことはできるでしょうか?
 

ヨハンの在り方を聖書と照らし合わせてみました。

 投稿者:匿名  投稿日:2013年11月17日(日)06時45分54秒 s642142.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
  投稿させて頂きます。

はじめまして。
私は以前、伝動において異名が付けられ、同時に【筍長】を努めておりました。

しかし、教会の在り方について疑問を持ち、教会を変えました。

その後、神学校→牧会を経てクリスチャンカウンセラーになり、同時に大学に入学致しました。

ざっくばらんに、ヨハンの在り方を聖書が言っている教会の在り方と照らし合わせながら紐解いていきましょう。


【伝動面】
ヨハンでは教会に繋げて、そのままというベルトコンベア式とイメージして下さい。

聖書ではイエス様に繋げて、教会です。(使徒の働き、ペテロの説教以降)

ヨハンではダミーサークル(発案O:教職)、家庭、就活を活用した伝動を展開しています。

それについて、聖書では『ダミーサークル=偽証』、『家庭と就活セミナー=偽証』が成立します。(箴言とガラテヤ)

そして聖書が推進する伝動は、賜物を活用した伝動です。ルカのタラントの箇所を参照


【教会の在り方】
ヨハンでは献金を強要し始めて、それが信仰という風習が成り立っているようですね。

しかし聖書では、マモン(物質主義も含めさせて下さい)に仕えていることになります。

聖書では、【強要されるならやるな(コリント)】と教えています。

更に、自ら喜んで捧げ(ダビデの晩年、ソロモンに王位を譲る箇所)、金額は信仰の度量(誤解されやすいので、箇所を2つ記載します。1つ目はやもめの献金、2つ目は箴言です。)に応じてと捧げています。

なので、【信仰があるなら多く捧げろ】という方程式は、崩れ去ります。もし、それでも喰らいついて来るのでしたら、【あなたを躓かせるもの(イエス様から離れさせる)なら、切り落とせ(参上の水訓)】の原則を活用して下さい。

奉仕も献金と同様です。
何かして教会がお金を払わないケースが、後を経ちません。

それは献金でも、奉仕でもなんでもありません。強盗と、聖書は固く戒めています。(箴言、ローマ10章以降)

もし、突っ込まれたら、【働くものに正当な賃金を支払う(ごめんなさい、パウロ書簡です)】ことと、【主にあってこの世の法律を守りなさい(ローマ10章以降)】の原則に従って下さい。

牧師は神が立てたリーダー(教会も含みます←教会の頭はキリスト)についてです。

基本、従って下さい。
ただし、従ってはいけないケースも存在します。

◎牧師が全てであり、正しいという場合=偶像
◎イエス様と聖書ではなく、【自分達の神学と教議】=聖書でいう間違った教え
◎権威者の立場を利用する=高慢

この3つの場合です。


【信仰】
ヨハンでは、【教会】を中心とします。主にコスタ/ユースの誘い方及び信仰献金

聖書では、躓かせるな『コリントの偶像に捧げられた肉箇所』とはっきり明記した上で、【キリスト】に焦点を当てています。

もし、ヨハンで信仰に躓きそうになりましたら、離れて下さい。箇所がとびとびなので、まとめて


イエス様は度々群勢の前を通り抜けられた、人里離れて朝早くから

と、あります。
これも躓きになりそうな場合に有効な、イエス様の姿です。

聖書では、ハイならハイ、イイえならイイえ(私達クリスチャンカウンセラー及び牧会者、と、言っても以前ですが、境界線と定義しています。←神様の好き嫌い、神様はこういうお方と定義しているところから、境界線と呼んでいます。)

という教えもあります。
つまり、離れる(ハイ)、離れない(イイえ)は、自由意思ですが、躓きそうになりましたら、離れて下さい。

説得は正しいようで違います。他教会に行な。も、違います。これは、ヨハネの手紙シリーズを参照して下さい。

最後に、教会から離れた人批判と、他教会批判。
教会から離れた人を呪う、もしくは裁くなど。これは、肉の業であり、サタンの手段です。(呪う行為)

そして他教会を批判することは、高慢、兄弟に向かってばか(参照の水訓参照)が成立、モデル教会と祈ることは、(パリサイ人と罪人の祈りを参照)高慢、すなわち【不義】が、成立します。

余談で、他教会との交わりを禁じることを、聖書はきつく戒めています。(ヨハネの手紙第一)


まとめ
聖書と照らし合わせ、矛盾して、かつ、つま躓きそうになった場合(強要させてくる場合も含む)は、教会から離れるか、教会から距離をとって下さい。尚、離れる場合は、【内容証明で離れる旨】を伝えて下さい。←主にあってこの世の法律(憲法第73条1~3項)
 
    (川島堅二) 興味深い投稿をありがとうございました。

ヨハン教会で筍長まで経験された方だからこそできるアドバイスだと思いました。教会内部で葛藤している人たちが心を整理するよすがになることを祈ります。
 

御論文拝読して

 投稿者:恵保場之介   投稿日:2013年11月 3日(日)21時23分15秒 cts113021.cts-net.ne.jp
  御多忙中恐れ入ります。御論文「八百万一神教」・大本教の思想についてを拝読しました。
私は教派神道の大本や天理や金光や黒住などには全くと言ってよいほど関心ありませんが、
単純の考えれば人間の意識の志向が一度に多数の神々を崇拝の対象とはなし得ないこと
(「ノエシス→ノエマ」の働き)、何らかのかたちで一神教的に成らざるを得ないことがよく
わかりました。ところで単一神教」と「徹底唯一神教」以外に一神教の形態が認められる
と思われます。ニーバーの3類型では現実にそぐわないと思います。「拝一神教」もあり、
聖書の一神教はほとんどこれだと聞くし、日本人クリスチャンの多くはこれでしょう。
家の宗教や民族の宗教として他の崇拝対象の存在を暗黙のうちにも認めていると思います。
ただし単一神教のように他の神々の存在を肯定しているわけではなく、前提はしていても
否定しており、彼らにとって「唯一神」の存在は主観的事実として認められるのでしょう。
ところで、ニーバーの言うところの「徹底唯一神教」とは具体的にはどういうことですか?
理念としてはあり得ても現実にはどうなのでしょうか?他宗教の神々の存在を許容し得る
「一」なのでしょうか?一説ではイエス以外には誰も持ち得ない信仰形態のようですが、
いかがなものか、お教え願います。そしてクリスチャンの多くは実際は拝一神教徒ですか?
 
    (川島堅二) 投稿ありがとうございます。ipアドレスからですと、昨年の一月にボンへっファーの「作業仮説の神」について質問された方でしょうか。

>ニーバーの言うところの「徹底唯一神教」とは具体的にはどういうことですか?
理念としてはあり得ても現実にはどうなのでしょうか?

おっしゃる通りだと思います。ニーバー自身、これをあくまで理念型として提示していると思います。

>クリスチャンの多くは実際は拝一神教徒ですか?

この問いへの答えは、調査をしてみないと分からないとしか言えません。興味深い問いとは思いますが・・
 

日経新聞「交遊抄」

 投稿者:川島堅二  投稿日:2013年 7月 6日(土)09時41分54秒 nptty404.jp-t.ne.jp
  本日の日本経済新聞の文化欄コラム「交遊抄」に拙文「志の足跡」が掲載されました。

神学生時代に影響を受けた、在野の歌人であり無教会キリスト教徒、事業家でもあった神戸照子(かんべてるこ・2005年没)さんとの「交遊」を書きました。

当時、ガチガチの教会的信仰の鎧に身を固めていた私の殻を破ってくださっのが、神戸照子さんでした。今も深く感謝しています。


 

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